一つ一つ積み重ねること
私が所属していた自治組織では毎年子供たちと一緒に川遊びをする企画を開催していました。
無事に終了し、はたさんと企画について振り返りをしていたときのこと。鍋山に対する思いについて話をしてくれました。
「日本のどこも人口が減ってきている。その現実を受け止めて、むやみに人口を増やすことよりも、鍋山に住んでいる人たちがどうやったら安心して生活できることについて考える方がよっぽど大事だと思う」
はたさんはさらに
「将来、一緒に川遊びした子たちが故郷ではない土地で生活するかもしれない。それでも、鍋山で川遊びした時間を楽しかったって思い出してもらえるだけでもいい」
「その子たちが親になり子育てをするときに、鍋山に帰ることが一つの選択肢として浮かんでくれるだけでもいい。今自分たちが活動していることが、そんな風につながってくれるだけでも嬉しいことはないね」って。
そう語る、はたさんの表情はとても穏やかでした。強面で近寄りがたい雰囲気な人だけど、本当に地域のことも子どもたちの未来のことも考えていて。
しかも、その考えは押しつけではなく、選択肢の一つという柔らかいものでした。目の前にあることを一つ一つ積み重ねていく。何十年も、はたさんはそれを丁寧に繰り返してきたんだと思います。
「今、鍋山に住んでいる人たちの健やかさや安心感は何なんだろうか?」
大事にしているこの根底の考えも含め、私の中で心に残っているシーンでもあり、言葉でもありました。
雲南に来たときはコミュニティナースとしてのノウハウを教わるつもりだったけど、そうではない大切なことをたくさん教わりました。
鍋山の人たちと喜怒哀楽を共にし、向き合い、それに基づいて一緒に何かをつくっていくことで、人としてもコミュニティナースとしても育ててもらえたと思っています。
鍋山で活動したのは2年間でした。その後、結婚や出産を機に鹿児島へ戻ることにしました。
2年経ったとはいえ、まだまだこれから。コミュニティナースとして力をつけていきながら、お世話になっていた鍋山の人たちに少しずつ恩返しをしていこうと思っていた時期でした。
「○○しとけばよかった…」
そんな後悔が心のどこかにまだ残っています。私の中の時計はそこから止まったままなのかもしれません。
それだけ私にとって鍋山に対する思いが強かったんだと思います。でも、今何を言ってもしょうがない。それだけは間違いなく言えます。
自分が改めて前を向いて一歩踏み出すためには、今の状況に応じてできることを一つ一つ積み重ねていくこと。だって、私にとって鍋山の時間は辛かったことも含め、宝物だし、良い思い出でもあるんですから。
だからこそ思うんです。いつかきっと鍋山に足を運んで、お世話になった地域の人たち一人一人に会ってお話をして、感謝の気持ちを伝えるんだって。
「こんな旦那さんがいて、子どもはこんなに大きくなりましたよ」って。色々なことを伝えたい…。
今は子育てや自分たちの思いに合った暮らしをしたい気持ちが強く、霧島で生活をしています。
私は病院で看護師として勤務しながら、医療現場での経験を積んでいる最中です。鍋山では地域の人と一緒に考え形にしてきました。
それが今は家族と一緒にその時々に合ったものを形にして日々を送っています。鍋山での貴重な経験を活かして、今後は鹿児島でもコミュニティナース活動をやっていきたいと思っています。
自分らしくいれること
鍋山でも霧島でも共通した感じたことは、子供たちが放課後に親御さんの仕事が終わるまで気軽に集まれる場所が少ないことでした。
学童が人気だったり、学童自体が少なかったりという現状もあるかと思います。そう感じるのは、私が母親という当事者だからかもしれません。
最近まだ妄想段階ではあるんですが、やりたいことがあります。それは、子供たちや地域の人たちが「やりたい」と思うことを自分らしく発揮できる空間をつくることです。名前は『みんなのアトリエ』がいいなと思っています。
「誰にも邪魔されずにトコトンできる空間もあれば、ちょっとした段差の上にテーブルや椅子があって勉強ができる空間もあったらいいな」
「アトリエだから”つくる”ことが得意な人がいれば、妄想するのが得意な人がいたりするのもいいな」
そんな風に妄想を膨らませています。みんなそれぞれ得意不得意がありますよね。だから、立場や役割を活かして「これ、素敵だね」「あー、これ好き」って言い合える空間にもしたいなと考えています。
私の中で一番大事にしているのは“自分らしくいれること”です。子どもたちのためにつくりたい気持ちもありますが、私自身が「その光景を見たい」「その場にいたい」気持ちが一番強いと思います。
今話した妄想が膨らんできたのは他にも理由があって。私は小さい頃に絵を描いたり物をつくったりして誰かに喜んでもらうことが原体験としてあったこともですし、夫がものづくりが好きだというのも一つにあります。
そして、子どもたちの豊かな感性や世界観。私はそれに対して心から尊敬の念を抱いているんです。
3~4歳から小学校の中学年までの期間って、その子にしかつくれない独特の世界観があると思っていて。
その世界観に触れるたびに「何なんだろう?あれは!」と衝撃を受けることばかりでして。
でも、成長すればするほど、大人の手が加わったり、社会の目を気にするようになったりすることで「その世界観が失われているのでは?」と感じているところです。
ちょっと恥ずかしいんですが、変な趣味もできました。今住んでいる家の近くに産直野菜の無人販売所があるんです。その野菜の生産者のおじいちゃんとお話したいなと思ってて。
それで、時間があれば物陰に隠れて、おじいちゃんが来るタイミングを見計らっているんです。先日、たまたま会う機会があって偶然を装って声をかけました。
「ねえ、おじいちゃん。先日ここの大根買ってとても美味しかったんだけど、何かオススメのレシピってありますか?」って。
おじいちゃんは最初はびっくりしていたけど、「俺の大根はな、こうやってこう調理すると美味しくなるんだ」って嬉しそうに話してくれたんです。
何でこんなことをしているかというと、その人が好きなこと・生きがいにしていることを生き生きとした表情で語るのを見るのが好きだから。
将来的には『みんなのアトリエ』で色々なおじいちゃん・おばあちゃんの野菜やレシピを集めて、○○さんちの大根の煮付けや我が家のおばあちゃんの白和え等を出してみたいと思っています。
それはどこにでもあるものかもしれません。これも子どもたちと同じように、それぞれの得意なことを持ち寄って、それを一緒に形にすることなんです。
そうすることで、つくる人も食べる人も喜んでくれたら、どれほど嬉しいことか。妄想するだけでニヤけてしまいますね。
私は大人になるにつれて、夢や理想ができたことで次第に0か100の答えを求めるようになっている自分がいました。
でも、鍋山の地域の人たちや、夫や子ども、そして私自身と向き合うようになって、そのときに応じた答えを出せるようになった気がします。
目の前にいる誰かにとって、私にとって、どこがベストなのか。どこが居心地良くて、健やかなのか。そんな思考を持てるようになりました。
最近は子どもと散歩していると、小さな発見がたくさんあります。道に落ちている葉っぱで色々な遊び方をしていて。破いたり、穴に指を突っ込んだり、時には舐めたり。
自分一人だったら普通に通りすぎるだけかもしれません。そんな子どもの行動は、大人になって忘れてしまっていたことを思い出させてくれます。
だからこそ、自分らしく、自分のことを表現できて、誰かにとっての発見や喜びとなる『みんなのアトリエ』をつくっていきたいと思ったんです。
それはいつになるかわかりません。でも、私にとってできることは、目の前にあることを一つ一つゆっくり積み重ねていくこと。
今まで出会ってきた人たちと同じように、私も時間をかけて、少しずつ少しずつ…。
それだけはこれからも変わらない私の軸でもあり芯です。
どんなに生き方が変わったとしても。
(終わり)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長〜)
インタビュー日:令和3年6月22日
インタビュー場所:嘉例川駅
●編集後記
たえちゃんとは知り合って7年。年齢は結構離れているのだけど、良き友人として仲良くしています。知り合った時はまだ彼女は大学生で、僕が福祉関連の仕事をしていたので、結構話が合いました。そんな彼女から「コミュニティナースの勉強をするために島根県雲南市に行く」と報告を受けたのは5年前の春でした。それはちょうど僕が東京へ行くことが決まった時期とも被ってて、同じタイミングで鹿児島を離れました。その1年後、たえちゃんがいる雲南へ遊びに行って、彼女の職場や好きな場所を案内してもらいました。とてもいい表情で近況を話してくれて「大変だろうけど、楽しんでいるな」と感じたのを今でも覚えています。その後、また同じタイミングで鹿児島へ。
「“てまえ”の鹿児島取材を誰にするか?」
そう考えた時、すぐに浮かんだのがたえちゃんでした。それには3つ理由があります。
同じタイミングで鹿児島を出ていたことや遠い雲南で懸命で頑張っていた姿を見たこと、そして何より僕と近いタイプだなと感じたことが決め手だったんです。僕もたえちゃんも、小さくだけど、コツコツ地道に積み重ねるタイプ。他の人たちよりペースは遅いけど、それでもめげずに歯を食いしばって少しずつ前に進んでいます。しかも、彼女はライフステージが変わり、子育てをしながら、新しい環境に少しずつ馴染みながら、コミュニティナースとして一皮剥けようとしている。僕はそんな彼女からたくさん勇気をもらいました。そんな背景から彼女を取材したいと思ったんです。
たえちゃんの取材した時期は6月下旬。僕自身も“てまえ”の取材を進めて1年経過する節目の時期でした。1年通して自分なりに変化してきたことや、それを通して形にしたいことも言語化できるようになってきました。僕は相変わらずのスローペースです。でも、それでもいい。一つ一つ積み重ねていくことで、地味かもしれないけど、自分の思いを形にしていきたい。改めてそう思えた取材でした。
たえちゃん、今回は貴重な時間をありがとうございました。