最適解を選び続けること

実は、数年前に離婚をして、シングルファザーとして男の子3人を育てながら生活をしています。そんな中、昨年12月半ばにある選択をしました。

それは、子どもたちが学校に行かない、ということでした。新型コロナウィルスや子供たちの年齢が上がってきたことで僕の生活環境も変わってきました。

その状況で、学校に行く選択肢よりも学校に行かずに僕と一緒に生活していくことのほうが、僕ら家族にとって優先順位が上がったことが理由になります。

子どもたちが「学校に行きたくない」と言っていたというわけではありません。校長先生や先生たちには念を押してこのように伝えました。

「僕たちは決して学校に原因があるから、このような選択をしたわけではありません。だからどうかご自分を責めないでください。そして、私たち家族について安心して見守ってください」と。

僕は学校側から不安に思われることがとても苦しいと思っています。でも、それは心の中で思っているだけでは伝わりません。

だから、学校に行かない選択をした子どもたちには伝えたことがあります。「自分が選ばずにいる道を選んだ人には感謝をしよう」って。

社会的に不登校ってすごいネガティブな印象を持つのが日本人の大体の認識だと思っています。大前提として、我が家にとって一番の最適解は何なのかと考えた結果、今回の選択に至ったわけです。

僕たちがこういう選択ができたのは学校に行ってくれる人たちがいるからです。学校に行ってくれて、近い将来、市役所だったり郵便局だったり、発明家だったり…。そういう仕事をしてくれる人たちが出てきて、僕たちの暮らしのことを支えてくれています。

そして、僕たちは昔からの知恵を使わせてもらったり、便利な機械を使っていたりできるのも勉強してくれる人たちがいるから、自分たちはこのような選択ができているんです。

だから
「自分が選ばなかった道を選んだ人に感謝しよう」
そういうことを子どもたちに伝えました。

おそらく、多くの人は目的に目を向けず、原因を探ろうとすると思っています。また、極端と思われる選択をしたとき、自分の選択した道の良さを言葉でも伝えがちとも感じていて…。

そういう選択をした人は、自分の存在や行動だけでも十分にメッセージとしてインパクトが残っています。僕は敢えて言葉としてメッセージを伝えるなら、自分が選択しなかった道を歩んでいる人たちに対して、感謝を伝えた方が良いんだと思っています。

だって、その人たちに感謝の言葉を伝えなければ、たとえ心の中では感謝していても、否定していると捉えられてしまうのですから。だから、僕たち家族は学校側に感謝していることと学校に行かない目的をハッキリと伝えました。

極端なことを選択している分、自分以外の選択に対してどういう解釈をしているかをちゃんと伝えたい。行動だけでは感謝を伝えることは非常に難しい…。

今年4月になり、子どもたちは再び学校に行く選択をしました。僕と向き合い、子どもたちなりに考えて、今は学校に行くことが良いという結論に達したからです。

人生の状態も、そしてその中で自分の最適解もずっと変わり続けます。側から見ればコロコロ変わっている風に見えるかもしれません。

でも、自分にとって一番良いと思ったことに気づいた時に、それを選択できるってことは自分の人生を新しい世界に連れて行ってくれることにも繋がるんです。

もしかしたら、その姿を見て、誰かを勇気づけることもできるかもしれない。大事なことは選んだことをずっと続けることではなくて、その都度、最適解を選び続けることだと思います。

経験していないことをやってみる

今年で塩職人になって10年経ちました。最初の8年間は自分の肩書きを塩職人って言いたくありませんでした。

あらゆることをしていたので、塩職人としての一面だけ見てほしくない思いがあったからだと思います。だから、職業:お父さんって言っていました。

だけど、最近は肩書きを塩職人って多用しています。それは今年東京で開催した僕の写真展がきっかけでした。

デザイン等の仕事をしている知人が僕の作業の様子を撮影してくれて、それをパネル化して写真展をしようとなったんです。会場には十数枚のパネルが展示しました。

「僕はどの写真が好きかな」
考えた結果、僕が好きだなと思ったのは塩が生まれた瞬間の写真でした。

「僕が写っている写真が多いのに、どうしてこの写真がいいなと思ったんだろう?」
考えているとき、ふと思ったんです。

「この写真は僕がいつも見ている光景なんだ」
「こんなに塩を作る仕事が好きなんだ」って。

他にも写真集があって、その中の一枚に僕が笑いながらアイフォンを持って釜に近づいて撮影している様子の写真があります。知人はこの写真を撮ったとき、このように思ったみたいです。

「この人、10年もこんなことやっていて、未だにこんなことが好きなの?」

僕はこの景色を地球上の人類が全員見ても美しいと思えると思っています。でも、それが異常なんだなってことに、この写真きっかけで気づきました。

東京にいたら楽しいです。たくさん刺激あるし、色々な人に会えるし。でもね、写真展会場にいたら「早く宮崎に帰りたい」と思ったんです。

帰りたいと思った空間は、僕が今作業しているこの場所。そして、思いました。「あ、俺、塩職人なんだな」って。

僕は自分が作った塩のクオリティが世界一だとも価値があるとも思っていません。だって、塩を作っている人は他にもいるし、僕が作らなくても誰も困らない。

僕が作った塩よりも安くてクオリティが高い塩も世の中にたくさんあります。僕から「価値があるよ」なんてことはどうしても言えない…。

だから、意味を込めるんです。その意味をお客さんに、そのストーリーを与えていくこと。それに対して価値があると信じ切っているから。

そんな僕を変える忘れられないエピソードがあります。それは、撮影してくれた友人が連れて行ってくれたスペインバルでの出来事でした。

深夜、ドアを開けると閉店準備中…。
「一杯でいいでしょう?」
店主は明らかに面倒臭そうな雰囲気でした。

そこで僕はカウンターに座り、持っていたお塩をテーブルに置いてみました。
内心「迷惑な時間に来てしまった」とドキドキしていました。特にこちらに興味も無さそうでしたし…。何もバックホーンを知らない寡黙なマスター。そんな店主が塩をひと舐め、一言。

「うん、好きかも。ちょっと米炊くわ」

すると突然、パエリアを作り始めたんです。極々シンプルなレシピ。でも、それがめちゃめちゃ美味しかった…。

ぶっきらぼうな店主が“僕の塩”で変わったのを見て、僕の塩には価値があると知った夜でした。この出来事を忘れないために写真集のタイトルは『cloruro de sodio』にしました。スペイン語で塩化ナトリウムという意味です。

そんな一つ一つのストーリーを目の当たりにして、本当の意味での客観的に自分のことを知れたとき「僕は塩職人なんだな」と改めて感じました。

今の僕は自分に対して、きちんと妥協しない景色を見せてあげることを意識しています。そういうことに時間やエネルギーを使うことで何か次のヒントが得られると思っているからです。

そこには今明確に大切にしている「経験していないことをやってみる」ことの先にあると思っています。

10年前に串間で住み始めたとき、僕は塩どころか味噌汁さえ作れませんでした。そして、自分が信じたことを絶対だと思って、自分と違う価値観を否定して自分の考えを押しつけていました。

そんな自分を180度変えてくれたのは、塩作りやNVC、学校に行かない選択、写真展等、今まで経験していないことをやってみたことからでした。そんな背景があったからこそ今の僕があるんです。

この先、時代や状況は変化していきます。それらを見極めながら、そのときにとっての最適解を選択していくこと。これからも変わらずに変わり続けていくこと。その2つだけは僕にとって変わらない軸だと思っています。

ただ、答えは一つではありません。皆それぞれ環境や状況は違います。だから「僕・私にとっての答えはこれです」と各々がちゃんと言葉にできて、それが受け入れられるようなことが一つでも増えてほしい。そう願っています。

(終わり)

前編 中編 はこちら)

話し手:渡邊ネジ健太塩職人
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年5月22日
インタビュー場所:HAPPY SALT 作業場

●編集後記
ネジさんとはもう6〜7年の付き合いになります。初対面は少人数の場でした。めちゃテンションが高くて、自分の意見をハッキリ言うネジさんに圧倒されたのを今でも覚えています。そこからは毎年のように会っていました。会う度に「ネジさん、またアップデートしてる!」って思ってて。個人的には前向きに色々やっているからかなと思っていたけど、全然そうじゃなかった。。。
走り続けて、疲れて、その都度悩み、自分自身・家族・社会等と向き合い、時間をかけて進化し続けてきたんだなと今回の取材で感じました。インタビューの中でおっしゃっていた「経験していないことを経験する」こと。僕もそうですが、自分が経験してきたことに対して可能性や最適解を探そうとしている人がほとんどだと思っています。でも、ネジさんの言葉を聞いて、なんだか胸にスッと入ってきました。それは僕自身も、この1年は「経験していないことを経験する」ことを続けてきたからかもしれません。その中で想定もしていなかった出来事や答えが出てきて、そこから今後の自分について具体的に考えられるようになりました。
取材は密着で塩の製造の様子を1日かけて撮影しながら、インタビューも同時に行っています。初めて見る塩職人・ネジさんの姿に惚れ惚れする時間でもありました(笑)
ネジさん、今回は本当にありがとうございました。次お会いする時も、お互い最新版の自分でお話しましょう。

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。