沖縄県内を中心に遺体管理人として遺体修復や、グリーフケアを用いて遺族の心のケア等を行っている嘉陽果林さん。そんな嘉陽さんから幼少期から遡り、現在に到るまでの背景等を伺いました。

居場所を求めて

私の実家は他の家庭の“普通”とは違ったものだったかもしれません。それはある程度大人になってから気づきました。

子供の頃って、親が言動や行動が全ての世界って言われますよね?
「親の背中を見て育つ」といいますが、人に対する配慮や気遣い等、生きていく上で大切なことを教えてもらったことはなかったと思います。

小学生のときは、小さな地域の学校だったので、学年関係なく兄弟のように過ごしていました。

しかし、中学生になると、人数の規模が大きくなり、“普通”とは違う雰囲気の私はイジメを受けるようになります。

同級生から蹴り飛ばされたこともありました。家に帰っても、親は私のことを気にかけてくれず、辛い日々でした。学校にも家にも居場所がない。そんな日々が続いていました。

あるときのことです。「運動部へ入らないか?」と声をかけられました。人間関係がうまくいかず、勉強も得意ではなかった私にとって、それは嬉しい一声でした。

入部後、きつい練習にも耐えメキメキと成長し、大きな大会に選手として出場することができました。

空が暗くなるまで練習をし、帰ったらすぐ寝て、朝日が昇ると同時に朝練へ。その繰り返しでした。

遊ぶ時間なんてなかったけど、それでも前向きに練習することができました。それは、運動部が自分の居場所だと思っていたからだと思います。

だって、家に帰っても、私の居場所なんてなかったんですから。逆に、運動部では私のことを必要としてくれた…。だから毎日頑張ってこれたんです。高校でも同じ運動部でスポーツを続けました。

高校を卒業後、東京のバス会社に就職しました。理由は単純で、勤務条件が良かったこと、そして、寮生活だったので実家から出られたからでした。

そのため、その仕事に対して強い思いがなかったので退職することになります。その後はしばらくアルバイト生活の日々…。

今の仕事でもそうですが、当時も休むことなく、ほとんど毎日働いていました。それでも気持ちが楽でした。

元々実家を出るまで居場所がなかったから、家での過ごした方がわからなかったんです。だから、働くことで、そこに居場所がある感覚がありました。

「嘉陽さんがいるから、助かるよ」

職場からそう言ってもらえることが何より嬉しかった…。それは今でも覚えています。
ただ、それでも自分の性格や思考が他の人よりズレてる感覚がありました。

今の時代は少数派の人のことを尊重する傾向があります。しかし、当時はまだ多数派の人に合わせないといけない風潮があったので、自分のことを曝け出すことに苦しさがあったんです。だから、そんな苦しさを仕事で評価してもらうことで昇華していたのかもしれません。

その後、正社員へ昇格。そこでも同じようにシフトにたくさん入れてもらいました。仕事を頑張っていたのは自分のためでした。

それはアルバイト時代と同じような感覚なもの…。家で居場所を見出すことができなかった私にとって、唯一見出せる居場所だったからだと思います。

でも、それが「あなたがいてよかった」「あなたじゃないとできない」と評価してもらうようになって、自分のためにやっていることが自然と誰かのためにつながってきたんです。それは今の仕事でも感じることでもあります。

主役は映画の○○

正社員としての仕事を退職後、25歳で沖縄へ引っ越すことにしました。次の転職先は納棺師の会社でした。

この会社も理由が単純で勤務条件が良かったからです。納棺師(※1)はご存知の方が多いかもしれませんが、映画『おくりびと』(※2)で有名になりました。資格は不要で、学歴も職歴も関係なく、やる気があれば大丈夫な会社でした。

「『おくりびと』の主人公になりきることが大事だよ」
「この仕事はね、感謝されるよ」
この会社ではそんなことを頻繁に言われていました。

研修では、目の動きや所作といったパフォーマンスがメインで、ご遺体に関する専門知識を学ぶことは殆どありませんでした。

結局、納棺師だった私たちは演者だったんです。ご遺体を綺麗にすることが目的ではなくて、有名な納棺師が葬儀に来てくれることに意味を求められているような感覚がしました。

ご遺体の着付けを綺麗にしたとしても、ご遺族の前で美しい所作をしたとしても、ご遺体自体は何も変わらなかった…。

痩せている人は痩せているままだし、浮腫んでいる人は浮腫んだままでした。そこに疑問がありました。

入社して数年経ち、会社にその疑問をぶつけてみたんです。「ご遺体の勉強をもっとするべきだ」って。

しかし、会社から相手にされませんでした。結局、現場において納棺師が主役で、本来一番大切にすべきご遺体が置き去りにされているのが現状だということに気づいたんです。

また、職場の先輩たちから教えてきてもらったご遺体に関する知識等も単なる経験則で科学的根拠は全くないことも知りました。

そのような背景もあり、私はご遺体の状態を生前に近い状態にして際立たせたい気持ちが強くなってきました。

それは、私が主人公としてではありません。あくまで私はご遺体やご親族を際立たせる黒子として、です。

ただ、そんな思いがあっても私にはご遺体の処置をする技術や知識はありませんでした。そこで遺体管理学と呼ばれる分野の本を読み込み、内容を全部暗記しました。

こんなに勉強したのは初めてだったかもしれません。それまで趣味や特技もなく、心の底からやりたいと思って動くことのなかった私が楽しみながら勉強していたのですから。

その後、33歳で会社を退職し、遺体管理を専門とした会社を立ち上げることになります。その段階でグリーフケアの勉強をするために京都へ何度か足を運びました。

グリーフケアとは、大切な人を亡くし、深い悲しみを抱える人に寄り添い支え、立ち直ることができるようにサポートしていくことです。

私はご遺体の処置ばかり考えていました。そんな私に「グリーフケアを学んでみたら?」と応援してくれた方からアドバイスを受けたことがきっかけでした。

研修では自分のお子さんを亡くした方が講師を務めていました。その方が講義の中で話していたことを今でも覚えています。

事故に遭い、救急隊員が駆けつけたときは、もう息を引き取っていたとのことでした。

病院から亡くなったお子さんを見送るときに看護師さんが言ってくれた言葉がとても嬉しかったと話していました。

「○○ちゃんの手足って綺麗だね」って。

世の中的に死に対して否定的に捉えられている傾向があると私は思っていました。でも、その話を聞いて、死に対しても、本人に関する何かを褒めることで、本人を認めることに繋がると思ったんです。

グリーフケアの研修は初級・中級・上級とあります。当初は初級だけ受けるつもりでしたが、講師の話を聞いてグリーフケアと本気で向き合うべきだと感じ、中級・上級のどちらも研修を受けることしました。

現在、沖縄では葬儀のグリーフケアの資格を持つのは私だけです。そんな状況からか、グリーフケアという言葉や意味について知る人はあまりいません。

私の仕事や活動を通じて、グリーフケアについて知ってもらえれば、多くのご遺族が絶対に救われる未来がやってくる。そう信じて、今もこの仕事を続けています。

※1 亡くなった人を棺に収めるために必要な作業と関連商品の販売を行う職業人のこと。
※2 2008年に公開された映画。作中、主役の俳優は納棺師を演じている。

後編はこちら

話し手:嘉陽果林株式会社おもかげ代表取締役/遺体管理師)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年5月31日
インタビュー場所:株式会社おもかげ
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。