できない事実を一旦受け止め、その上で努力し続けること
高校時代、憧れていたのは今の職場の先輩である赤松智志(以下:赤松さん)さんでした。赤松さんとは高校3年の時に建築の先生からの紹介で知り合いました。当時、製造業や接客業しか働き方を知らなかった私は、地域の人を巻き込んだ空き家改修など、私が知らない働き方をしている赤松さんが憧れでしかありませんでした。
そのうちに「何かを実現するために人を巻き込んでいく仕事っていいな、赤松さんのような仕事をしたい」と思うようになったんです。そして、赤松さんが通っていた大学を目指そうとしたり、赤松さんがインターンしていた会社の専門分野を大学で専攻したり…それは、私が兄に憧れていたと同じようでした。
今でもそうですが、憧れの人に少しでも近づけるように頑張ることは一つの軸なのかもしれません。
(大学合格後にとった赤松さんとの一枚)
大学は山形県にある東北芸術工科大学コミュニティデザイン科の1期生として進学することにしました。
ありがたいことに忙しい日々で、プロジェクトの現場へ行く・WSの運営や準備をする・街へ取材に行く等、実習メインの大学生活でした。あっという間に年月が過ぎ、卒業研究の時期に…テーマは「同窓会」について研究することにしました。それは、「地元の仲間たちがハッピーでいてほしい、この仲間たちと地元で一緒に何かしたい」という思いがあったからです。
その思いが芽生えたのは、高校の同級生に会った時に、今後のキャリアについて悩んでいて、それについて相談をする人がいないことを耳にしたのがきっかけでした。
私の出身校の同級生は、高卒で就職した人が多く、就職するための勉強をしてきたけれど、自分のやりたいことや必要性を感じて、その実現のために勉強することを高校までやっていないし、これから先やりたいことがあっても一歩踏み出せないのが現状…だからそれを打開できることはないかと考え始めたんです。
そこで、私が目をつけたのは同窓会でした。同窓会は、青春時代の思い出を語ったり、自分を振り返ったりする、世代を超えた繋がりができる場所…だったら、学生生活だけではなく、卒業後の進路や暮らしの中でも学び続ける仕組みを作ったらどうかって考えたんです。
その中で生まれたアイデアが、『卒業生のキャリアアップを支援する奨学金制度』でした。このアイデアは提案段階で、実際、まだ運用には至ってはいません。運用に向けて動いていく中で、色々な人に指摘をされ、実現に向けてのサポート体制も十分ではないのが現状です。
高校時代に『Sexchange Day』の開催実現に向けて動いていたときと同じ状況になっています。私が良いと思っていても、何もできない自分が浮き彫りになってきて、「4年間、大学で色々と実践して勉強してきたのに…」と悔しい気持ちになることもありました。
そんな状況でも、大学の教授や高校の同級生、恩師、地域の先輩方は喝を入れてくれました。誠意を尽くし学び続け実行すると、その何倍も温もりが得られることを教えてもらったんです。“できない事実を一旦受け止め、その上で努力し続けること…それを大学卒業後も継続していくこと”、それも大学4年間の学びの一つだと思います。
(大学の卒業研究のイベント案内ポスター:真ん中斎藤和真さん、右赤松さん
内容とは全く関わりがないけれど、ポスターは面白さだけを武器にやりきりました)
一緒に走ってくれる仲間と次の世代へバトンを…
大学3年の時から、富士吉田市で小中高生のキャリア教育や高校卒業後の進路に関するプロジェクトの企画・運営に関わっています。
そのきっかけをくれたのは、富士吉田市に関わる中で知り合った斎藤和真(以下:和真さん)さんでした。和真さんは今私が勤めている『特定非営利活動法人かえる舎』の代表理事でもあり、私が憧れている人のうちの一人です。
就職活動を迎えた大学3年の時に、「一旦東京で働いて勉強してから地元に戻るのか、地元に戻るといっても、そのきっかけや勇気が自分はあるのか」と考えていました。
その時、和真さんが「来年(2016年)から『かえる舎』が始まるから、とりあえず一緒に何かやろうぜ」と嬉しい言葉をかけてくれました。「モヤモヤしている私に声をかけてくれる人が、しかも地元でいるのなら、今がチャンスではないか?!」と思ったのが地元に戻ろうと決めた一番の決め手です。
あとは、和真さんと赤松さんの近くで仕事ができることが一番おもしろいと直感で感じていたこともあるかもしれません。
そして、私には赤松さん、和真さん以外にも心を突き動かす大きな存在がいます。
それは、高校の同級生です。デザセンに一緒に出たともやくんや、高校時代を過ごした仲間たち…彼らは新しいことにチャレンジする人もいれば、やりたいことを実現するために地元の企業に転職した人もいます。
そんな同級生の姿を見ていると、「何かできそう、一緒に何かやりたい!」って心の底から思うんです。きっと、その可能性に賭けているんでしょうね。デザセンもだし、学校行事等、一緒に楽しい時間を過ごしたから…単純にそれだけでも、この気持ちになれたかと思います。
(写真左:高校の同級生・はるきさん 写真右:幼馴染で同級生・ともやさん)
私は今の職場に加えて、母校である富士北稜高校の非常勤講師としても働かせてもらっています。何を教えるというよりは、生徒に寄り添い、一緒に悩み・考えるといった”近所のお姉さん”のような役割を意識しています(まだまだできていませんが…)。
高校生活が楽しかったとはいえ、高校時代は自分の思いや悩みを吐き出す場所や機会があまりありませんでした。そもそも吐き出す内容も思いつかなかったのかもしれません。
担任の先生や家族とは違う、不思議な先生がいたら、日常の嬉しい変化や気づきが増えることもあるのかなと思い、日々修行中です。
そして、意識していることがもう一つあります。それは、過去の自分よりできることを増やし青春すること。人生のピークが高校だと言わない・高校時代以上に楽しむことで、生徒たちに卒業後も楽しいことが待っていることや選択肢が溢れていることを伝えたい気持ちがあります。
ただ、それは決して一人ではできない。私がやりたいと言っても、いいなと思っても、必ずできない部分はあるし、できることに限りがある…。
でも、憧れの和真さんや赤松さん、そして同級生たちがいれば、実現できる、そう信じています。
走りたくなる大好きな街があって、一緒に走ってくれる仲間がいる、背中を押してくれるかっこいい先輩方がいる、その先にバトンを渡したい次の世代がいることは、環境として非常に大きいことだと思っています。
5年先、10年先の未来は全く想像できないけど、コツコツ物事を重ねたその先に、どんな世界が待っているのか、楽しみでたまりません。
(写真左:赤松智志さん 写真右:斎藤和真さん)
(終わり)
(前編はこちら)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長〜)
インタビュー場所:FUJIHIMURO 屋上
撮影協力:特定非営利活動法人かえる舎
同級生 ともやさん・はるきさん
インタビュー日:令和2年9月1日
このメインタイトルは、3つかけています
1つは渡辺さん自身。
2つは渡辺さんの高校の同級生たち。これから街で面白いことをしていく上で、皆必ずできない部分もある。そして、高卒で今後のキャリアを迷っている人は“できない自分”に対して、どうしていくとか、どうありたいというのを具体的に考えることができていない状況(仕事が手一杯で学べる環境もないから)。でも、今後、渡辺さんたちとその状況を打破して、きっとこうありたい自分を見つけていくんだろうなと思っています。
3つは次の世代の人たち。学生さんたちは高校時代の渡辺さんたちと同様に“できない自分”を抱えているはず。7年前に比べたら、色々やりやすい環境になったかもしれないけど。今すぐでなくても、卒業してからでも、街の人たちの背中を見て、こんな自分になりたいって思えるのが当たり前になってほしいなと思いました。
この3つの背景から、『“できない自分”から“こうありたい自分”へ』というメインタイトルにしました。
渡辺さんにインタビューをしていて、僕自身の高校時代を思い出しました。特に将来のことを考えず、何となく大学入って、何となくどこかで仕事するんだろうなって思ってて。社会人になって数年経つと、今の状況に違和感を抱き、何も考えていなかった学生時代や色々な選択肢を知ろうとしなかった自分に対して、後悔の気持ちで一杯になったのを今でも覚えています。このメインタイトルは、過去や今の自分自身にもそう言い聞かせたい、そんな思いもあるんだと思います。
僕が大学を卒業して10年以上経つと、時代の変化もあり、前より色々な選択肢を知る機会や、選択肢に向かうためのサポートも増えてきました。次の世代の人たちには嫉妬しちゃうけど、同時に嬉しい気持ちにもなります。富士吉田だけでなく、日本各地の新しい時代に対して、僕も楽しみでたまらないです。
渡辺さん、『特定非営利活動法人かえる舎』の皆さん、ともやさん・はるきさん、ありがとうございました。