新潟県新潟市内野町で『ウチノ食堂』の店主として切り盛りされてる野呂巧さん。そんな野呂さんから、食堂を始めるに至った経緯や背景を、学生時代から遡ってお話いただきました。

知らないことを知ることの楽しさ

サッカーと遊び…
小学校から高校までは、そのルーティンの繰り返しでした。テレビや漫画の影響で始めたサッカーは、勉強そっちのけで高校まで続けました。小学校時代は内野のサッカークラブに、中学校時代は県内屈指の強豪校のサッカー部に所属していました。しかし、結局高校時代まで通じて、県の上位や全国大会に出るために勝ち進むことができず、悔しい思いをしたのを覚えています。一時期はサッカー選手やサッカーに関わる仕事をしたいと思う時期もありました。

学校帰りや休日の時間は、身近な所で過ごすことが多かったかと思います。例えば、両親に連れられて映画を観に行ったり、内野で味噌醸造をしていた祖父母の蔵に遊びに行ったり、学校帰りに内野にある駄菓子屋さんや文房具屋さん、手芸屋さんに立ち寄ったり…。

更に、自転車で海・山・川にも行けたので、近くに遊びや仕事に関する選択肢が溢れていました。同級生は、親が商店・漁師・医者・先生・会社員など、結構色々な人が周りにいたんです。今思えば、面白い人たちが常に周りにいたんだなって思います。

そんな日々を送る中、高校で進路選択の時期がやってきました。僕は自分が働くイメージがつかなかったことや、勉強したくない理由から希望書には「専門学校へ入学希望」と書いていたんです。だからといって、やりたい専門的なことはなかったのですけどね。色々な専門学校のパンフレットを見ている中で何となく選択肢として残ったのは、料理とカメラでした。

将来について考えている中、高校3年生になってから、ある本と出会いました。それは、バックパッカーと呼ばれる人たちが低予算で海外を旅して巡る内容の本だったんです。当時、僕は海外に対して、テロがあるかもしれない怖さやお金がないと行けないイメージもあったので、海外に行けることは結構年を重ねてからなのかなと考えていました。

でも、その本を通して、100万円くらいあれば海外を回れること、海外へ気軽に行けることを知りました。そう思ったら、地理に興味が出てきて、地理の勉強ばかりするようになったんですよね。それが初めて勉強を好きになったきっかけでした。そこから、大学に行って海外の地域研究をしつつ、バイトでお金を貯めて海外で旅をしようと思うようになりました。

大学では2回、それぞれ1ヶ月かけて海外で旅をしました。
1回目はタイへ、中学校の同級生と行きました。一緒に行った同級生は、既に高校で親とバックパッカーの経験があったんです。僕は当時、一度も海外へ行く経験がなかったので、その同級生に自分の思いを話したら、「タイに行こう!」という話になりました。

恥ずかしい話、僕はお金の準備のことで頭が一杯で、タイに関する下調べをしていない・地図を持ち合わせていない状態でした。同級生が持っていた本と現地の人の情報を頼りに歩き回りました。そこでは、出会うもの一つ一つが新しいものでした。一つ一つが新しいって中々ないじゃないですか。その時間通じて、知らないものに出会う・知ることの楽しさを覚えたんです。その感覚は今も変わりません。

2回目はモロッコへ一人で行きました。旅の途中、現地の人とお酒を飲んでいた時に、「どうして君は海外を旅しているんだ?」と聞かれたんです。僕は、「知らないことを知りたいし、食べたい物を食べたい、そして行きたいところに行きたいから」と答えました。すると、「そうなんだね。でも、それは私にはできないな。それはあなたがやればいいよ」と言われたんです。

話を聞いていると、モロッコではビザが取りづらいことや海外に行ったり住んだりすることのハードルの高さがあることを知りました。同じ人間だからフラットだと思っていたけど、国が違えば、できること・できないことがあることの現実の壁があったんです。
「日本人だからこそ、自分は好きな旅ができている。それなら頑張って生きなきゃな」と思うようになり、就職活動の時期に入りました。

誰と、どこで、何を

大学時代は簿記や英語、スペイン語の検定を受け資格をいくつか取得しました。海外に関わる仕事に興味をもつようになり、海外勤務のある企業の説明会に行ったりしました。しかし、最終的に就活を大学4年生になる前に辞めることにしたんです。働くことの前に、「自分の生活って、どうしたら自分にとって最適なものになるのか?」と考え、3つの問いに辿り着きました。

“誰と?どこで?何を?”して生きていくか。
“どこで?”については、新潟がいいと思ったのですが、“何を?”については、はっきりした答えが出ませんでした。当時、そんな自分に一番身近にあった仕事は飲食業だったんです。ホールメインでしたが、バイトとして働かせてもらっていて、周辺エリアの面白いと思うお店を見ていたら、これを新潟でできたらいいなという思いが芽生えてきました。

就活を辞めてからは、お金を貯めるためにキッチンに入って料理を作ったり、店長業務でお店の運営を任せてもらったりして、1週間のほとんどをバイトに励んだんですよね。その中で、今後のことを考えた時、「お店を始めたとしたら海外に長く行く機会もないだろうな」と思い、「卒業したら、長期間、海外へ行こう」と心に決めました。

大学卒業後、7ヶ月かけて16カ国の旅に出ました。大学時代はヨーロッパ文明学科にいながら、ヨーロッパ圏だけではなく他学科の授業でアジア圏・イスラム圏・アメリカ圏のことを学んではいましたが、実際海外への旅はタイとモロッコのみでした。多くの宗教や食べ物、場所に触れたい気持ちがあり、旅先の圏域も分けました。

その中でも一番印象的だったのは、スペインバルでご飯を食べてた時の時間や空間でした。昼から、たむろしてコーヒーを飲んでいる人たち、ただお喋りしているだけのおじいさん、夜でも子供を連れてサッカー観戦をしている親子など、その人ならではの場の使い方がされているのが面白いと思ったんです。日本で僕がアルバイトをしていたお店では同じことはできませんでした。

職場の雰囲気はとても良かったのですが、チェーン店だったこともあり、マニュアルでお店の使い方が決まっていたんですよね。そのギャップがあったからか、スペイン滞在中はスペインのバルでご飯を食べていました。

行く先々のバルで、巡礼者は外国人としてではなく、巡礼者として扱われていました。だから、国籍が関係なくなるんです。食べ物をもらったり、怪我人を処置したりて、一人の人として扱われる光景は優しい気持ちにしてくれました。巡礼者同士で食卓を共有したり、食事をシェアしたりした時間がとても良い思い出です。

「スペインバルのように、皆がフラットに過ごせるような空間を作れるようになりたい」、そう思うようになりました。
しかし、具体的に何をしたいかということも、漠然としたままで…日本に戻ってから具体的にどうしていくか決めていませんでした。

「さて、どうしようかな」
そんな心境だったんです。

後編はこちら

語り手:野呂巧(ウチノ食堂
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和2年9月11日
インタビュー場所:ウチノ食堂
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。