山梨県富士吉田市にある『特定非営利活動法人かえる舎』にて、小中高生のキャリア教育や高校卒業後の自分らしい進路を見つけるプロジェクトを企画・運営している渡辺紀子さん。そんな渡辺さんから、幼少期から高校時代を通して経験してきたこと、大学時代から富士吉田市に関わってきた中で見えてきたことや今後の思いについてお話を伺いました。

女の子だから…

私は三兄弟の末っ子で育ったのですが、特に兄に憧れていました。運動や勉強もでき、かっこいい兄は、皆の人気者でした。そんな兄のようになりたくて、兄の真似ばかりしていたんですよね…その影響か、兄が野球をしていたことから、私も小学2年から少年野球チームに入りました。

女の子の部員がいなくて、男の子の中に混ざって野球をしていて、ひとりぼっちだなと感じることもありましたが、男の子の中で自分がいれることに対しては、嬉しい気持ちになることの方が多かったです。喧嘩もたくさんしたけど、何だかんだ言って、男の子といるのが好きだったんです。

しかし、そんな中でも辛いこともありました。野球の練習をしていて、チームメイトと練習内容について話をしていると「紀子、お前が練習内容に口を出すな!」と言われたんです。

男の子が多い中で、かつ、運動能力が物を言う世界の中で、野球が上手でもない、女の子である私が口を出すことを許される空気ではありませんでした。それがきっかけで次第に練習に行かなくなることもありましたが、当時の仲間や監督に恵まれ、家族の支えもあり、6年生の最後までやりきることができました。

振り返ってみても、大変だったなと思うこともありますが、今の仕事で、上司の人と野球の話ばかりしているので、野球をやっていてよかったなと思うことはたくさんあります(笑)

中学校に入ると女子ソフトボール部に入りました。私は小学校から何かで1番を獲ることができなくて、スポーツも2番だったり、勉強も好きではなく成績も上位ではありませんでした。そんな中途半端な自分に対して悶々していました。

中学校時代に悶々としていた私にとって、女の子だということが理由で辛い思いをしたことが、小学校時代に加えてもう一つあります。それは、生徒会長を決める選挙での出来事です。

兄が生徒会長をしていたことから、私も生徒会長をしたい気持ちが強く、立候補をしようと思っていたんです。もう一人、男の子が立候補すると耳にしたのですが、そのタイミングで先生から呼び出しを受けました。「生徒会長は男の子がするものだから、副会長でサポートする役割をするのはどう?」と先生から言われたんです。
私は生徒会長をやりたい気持ちを泣きながら伝えましたが、その気持ちは届きませんでした。

小学校時代の少年野球と中学校時代の生徒会長を決める選挙の中で、“女の子だから”という理由で思いを伝えられない・やりたいことができない辛い経験をしました。特に中学時代は、そんな状況について打開することを諦めている自分がいました。

あたりまえを疑う、Sexchange Day

高校は色々な分野を学べる富士北稜高校に進学しました。入学当初は、中学時代の辛い経験を引きずっていた自分がいて、クラスでも静かにしていました。同じ高校に入学した中学の同級生が色々と私に話題を振ってくれたことや、クラスメイトにも恵まれて高校生活は一転、楽しい日々に。

部活は女子サッカー部に入部し、こちらもチームメイトに恵まれたことや、初めてのスポーツも一から始めるのが楽しくて、私にとって良い切り替えポイントになりました。

高校1年生の後期からは、建築デザインを選考し、机の上だけでなく、木材を切ったり製図を書いたりする日々でした。「自分はきっと、勉強が好きではない」と気づいていた自分にとって、この選択はすごくよかったなと、今でも思っています。

高校3年生の建築デザインの授業の中で、「デザセンに取り組んでみよう!」と当時の先生から話がありました。デザセンに提出するアイデアを考えていく中で、「日常の課題を探す」という宿題が出されました。

同じ授業クラス・班で幼馴染であるともやくんが「今朝、ニュースで性同一障害というのを知ったんだけど、紀子はそれについてどう思う?」って聞いてきたんです。その話をしていたら「制服はどうして男子はズボン、女子はスカートを履かないといけないんだろう?男子はネクタイで女子はリボンなんだろう?制服は男女の象徴だけど、それを入れ替えたら面白そうじゃない?」と盛り上がりました。

そして、男女の制服を交換して、当たり前を疑う、ということをテーマにプレゼンすることになったんです。中学校時代に“女の子だから”ということを理由に悔しい経験をしていたので、このテーマは大事なことではないかと実感していた気がします。(当時はあまり意識していませんでしたが…)

建築の先生とも話し合い、プレゼンのタイトルを『Sexchange Day』(性の交換)と名付けました。プレゼンの準備と同時に、学校内で実際に開催できるように先生たちに交渉していくのですが、ある壁に直面したんです。それは「制服は身体の一部である、それを他人と交換することは違和感がある」と1人の先生からアドバイス頂いたことでした。

私たちはどうしてもやりたいと思いをぶつけましたが、学校からは前例がないことや急なスケジュール、アドバイスの再提案を理由に、開催についてNGと言われたんです。どんなに自分たちが熱量を持っていても、それについて一生懸命取り組んでいても、できないことがある現実と力不足なところを知りました。

ただ、受け入れてもらうために一から物事を積み上げていかないといけないことを感じ、デザセン本番では、参加しない人のことも認めること、交換する制服のサイズや衛生面の改善策を加えてプレゼンしました。

当時、『Sexchange Day』自体はプレゼンを行った私たち3人だけで行いましたが、自分たちでできること・できないことが世の中にいっぱいあるんだという確信の両方を得られたことは大きかったです。

翌年に、一緒にデザセンに出た後輩が全校生徒での『Sexchange Day』を実現させたり、高校に社会人を呼んで色々な選択肢を知ってもらう授業が開催されたりと、学校の中でも少しずつ変化が起きました。

デザセンきっかけに、“できない自分”が見えてきて、実現したいことが実現できる力を身につけたい気持ちから、大学に進学する気持ちが強くなりました。

正直、デザセン前までは、高校を卒業したらホテルマンやゴルフ場のキャディの仕事になって、見えないところ支える裏方のプロになりたい気持ちが強かったんです。そんな自分に気持ちの変化が起きたのは、デザセンともう一つ…それは、憧れの人の存在があったからです。

(後編へ)

語り手:渡辺紀子(特定非営利活動法人かえる舎
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長〜)
インタビュー場所:FUJIHIMURO 屋上
撮影協力:特定非営利活動法人かえる舎
インタビュー日:令和2年9月1日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。