自分のできることで誰かを喜ばせる

東日本大震災後、大きな壁に直面することになります。その壁とは、牛が牧場で食べていた草から国の基準を超える放射性物質が検出されたことです。牛舎がなかった『森林ノ牧場』にとって、それは牛の飼育ができない、牛乳が搾乳できない、売り上げがない、人を雇えないことを意味していました。

那須町は原発から90キロしか離れていなかったので、放射性物質の影響を大きく受けてしまったんです。除染したくても、牧場に木があることから森林とみなされ、放射性物質の除染対象外になってしまったことも大きかったと思います。結局、栃木県内では全域で放牧が禁止されることになります。

私の中では、「こんな状況で会社を立ち上げ続けていくことは無理だ」「今後の事業計画も作れないし、会社の立ち上げに関わる融資だって受けられるはずもない」という気持ちでした。だから、震災が起きて10日後くらいには「牧場を畳もう」と気持ちを固めていたんです。

牧場を畳むと決めて、今までのお客さんや地域の方に挨拶周りをすることにしました。その中で忘れられない出来事が二つあります。

一つ目は、福島県白河市のある老舗の和菓子屋へ行った時のことです。福島県は震災の影響で道路が寸断され、ガソリン不足だったため、物流が止まっていたのが現状でした。コンビニもスーパーも営業していない状況でもありました。そんな状況だったのに、その和菓子屋の店長さんは驚く行動をしていたんです。

それは、和菓子屋なのに誕生日ケーキを作っていたこと。「どこのケーキ屋も休業している状況ってことはわかっている。しかしね、どんな状況でも誕生日は皆平等にやってくるんだよ。どこのケーキ屋もやっていないなら俺が作るしかない。祝ってやりたい親の気持ちを考えたら、どうしても誕生日ケーキを作りたくなったね。それに、幸せを届けるのがお菓子屋さんの仕事だからね」と涙を流しながら言っていました。

多くの人が震災で亡くなって、原発で故郷を失った人を見て、「自分には何ができるのか」って思った人も多いと思います。僕もその一人です。和菓子屋の店長さんは、自分の役割で世の中の人のことを一生懸命喜ばせようとしていたんです。

スタッフも抱え、和菓子を作っても売れない状況なのに…。その時、「俺にできることは何だろう」と改めて考えると、「牧場を続けること」だと思いました。これは「仕事で何をしたいのか」を考えるきっかけにもなったし、現在も牧場を続けるモチベーションにも繋がっています。

諦めないこと

震災後の忘れられない出来事の二つ目。それは、ある銀行の支店長さんに牧場を畳む旨の報告をしに行った時のことです。この厳しい状況で、数字に一番敏感なはずの銀行の支店長が、牧場を畳むことを一番納得してくれる人だと思っていました。しかし、意外な言葉が支店長からありました。

「絶対やめたらダメ!やめたら終わりだし、もう一度やるのは無理だからね!」と怒られてしまったんです。逆を言えば、「やめなければ終わらないし、諦めなければ失敗はしない」という風にも聞こえました。これは、震災後だけでなく、この牧場を運営していく中で壁にぶつかる度に思い出す言葉です。シンプルかもしれませんが、支店長の言葉からは「諦めない」という大事なことを教わりました。

僕が「牧場を続けるためにどうすればいいか」って考えた時に「一人だったら何とかなるかもしれない」と思ったんです。まず、牛を地元の酪農家さんに預かってもらい、そこで搾った牛乳を加工して販売することからスタートしました。次に、放牧はできないけど、牧場を続けていくために、卸の販売をしたり、カフェを再開してソフトクリームの販売を行ったりする形態でやっていくことにしたんです。

牛乳はうちの牧場の象徴的な商品で、かつ、震災前は放牧された牛から搾乳したものを販売していたので、牧場を続けていくためとはいえ、放牧されていない牛の牛乳を販売することは、とても心苦い気持ちでした。

2012年の夏から牧場の除染についても動き始めました。しかし「森林の除染はできない、除染をするなら森林を伐採して草地にして下さい」と電力会社に言われてしまったのです。伐採することは森林ノ牧場の象徴でもある森林がなくなってしまうということで、非常に悩みました。けれど、伐採した森林はもう一度植林しなおせばいい。牛が戻ってきて、また人が集まる牧場になることの方が大事だと思い、森林の伐採と放牧の再開を決心しました。

この考えを思いつくまでは、放牧できる状態に戻すまでに10〜20年、もしくはそれ以上時間がかかる覚悟がありました。でも、森林の伐採と放牧の再開を決心したことで思ったより早い段階で放牧が再開できそうな道筋が見えてきたんです。小さな範囲で伐採、抜根、除染、種蒔き、草の成長、検査を行ったところ、“問題なし”でした。

そこから除染する範囲を広げていきました。震災から3年ぐらい時間はかかりましたが、2014年の春からうちの牧場で放牧と搾乳が再開されることになります。

今もですが、毎日必死でした。でも、その中で楽しさもあって…。楽しさありきではないけど、得意なこと・できることを誰かに喜んでもらえるために、日々必死にやっていくことで、その中に楽しさが出てくるというのは今も変わらないかと思います。震災後に牧場を続けていくことを諦めていたら、今目の前にある景色や出来事は起こっていなかったでしょうね。

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話し手:山川将弘(森林ノ牧場 代表)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:森林ノ牧場
インタビュー日:令和2年11月18日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。