栃木県那須町にて森林を活用しジャージー牛を放牧で飼育し、6次産業で乳製品を作っている『森林ノ牧場』という牧場があります。そこで代表を務めている山川将弘さんから、幼い頃より遡り、現在に至るまでの背景を伺いました。

憧れと現実

僕は埼玉県川越市の生まれです。ごく普通のサラリーマン家庭で、両親と祖母と一緒に住んでいました。土日になると、両親が地方の田舎へキャンプやドライブに連れて行ってくれたり、実家近くの川で釣りをして遊んでいたりしたこともあり、幼い頃から自然を身近に感じていました。

そんな日々を送っている中、中学生になると、北海道へ1週間行く機会がありました。それは、毎年川越市で「川越市少年の船」と呼ばれ、川越市内の各中学校から選ばれた2名ずつが、現地(北海道)の人たちと交流しながら北海道で1週間過ごすというものでした。僕は漠然と北海道に対する憧れがあり、これに行きたいが故に生徒会に入ったくらいです。あ、生徒会に入ったのは「生徒会に入れば少年の船に参加できる」って知っていたからなんですけどね。

中学生にとって違う学校の人たちと交流する機会って中々ない。今まで感じていた狭い世界で当たり前だったことが、他の学校の人と話すと違ったりして、それが面白かったし、人間関係が広がったことは大きかったと思います。今、僕の中にある色々なものの原体験です。

そして、もう一つ、僕の心を揺さぶることがありました。ある牧場へ参加者で行った時のことです。そこでは、よくある搾乳やバター作り体験をさせてもらったのですが、僕が感動したのは、そのような体験ではなく、ふと目にした光景でした。それは、広い牧場の中で牛たちが放牧されてて、その中で牧場のスタッフさんたちが活き活きと働いている姿…。何となくですが、この光景を見てから「牧場で働きたい」という気持ちが芽生え始めました。

高校は進学校に入りましたが、それでも牧場で働きたい気持ちは変わりませんでした。卒業のタイミングで「将来何をやりたいのか」って考えた時に、「酪農家なのかな」って思い、酪農家になるためにどうすればいいか考えました。結果、シンプルでありますが、畜産学科がある東京農大を進路先として選択することにしたんです。

しかし、大学に入ると、僕が思い描いていた“放牧する”酪農は日本では当たり前ではなかった…。牧場が搾った牛乳は自分たちで販売するのではなく、地域ごとにある酪農組合が買い上げる仕組みです。そこで色々な牧場の牛乳は混ぜられ、○○産の牛乳(例:栃木県産の牛乳)として扱われ販売されます。そこでは、量に対する単価も決まっているので、どんな方法で飼育をしても牧場に入ってくる報酬や消費者に販売される金額も変わりません。

如何に効率よく、牛から多くの牛乳を出すということを重点的に行っている牧場が殆どでした。放牧をすると、牛は歩き回ってエネルギーを使うし、牛の均一的な管理ができない。牧場として経営していくには難しい状況になります。酪農家になれば、中学校の時に北海道で見た牧場のような光景が側にある場所で働けると思っていた僕は、酪農について何も知らなかったことを思い知らされました。

酪農に対する魅力を感じなくなる一方で、牛に対する興味が高まったこともあります。それは大学1年になって最初の講義の時のことです。先生が講義の中で話していたことがとても印象的でした。

「牛は草を食べるけど、人間は草を食べられない。そして、牛は胃の中で飼っている微生物を使い、草の分解をすることでミルクに変えてくれる。牛は微生物と共存することで、人ができない“草を食べる”ことを通して、ミルクにしてくれるんだよ」

牛ってすごい動物だなと思いました。放牧する酪農の現実と牛の能力を知った僕は「放牧という牛飼いのスタイルをどうやったらできるようになるのか」と自分のテーマとして考えるようになったんです。それは、大学時代も、そして今だに考え続けている私の大事なテーマです。

“「田舎で暮らす」をつくる”

大学時代は毎年夏休みを利用して、1ヶ月間牧場で研修をさせてもらいました。初めて研修に行った牧場は、中学校の頃に少年の船で訪れた牧場で、研修をするために手紙を書いて研修させてもらったんです。本当、そこの景色は良かったなって思います。

就職は大学時代に研修でお世話になった岩手の牧場でした。研修したきっかけは、その牧場の代表の方が東京で講演する機会があり、そこで取り扱うテーマが気になって、話を聴きに行ったことからです。その講演の中で「どうして牛に穀物を食べさせないといけないのか。牛は草食動物なんだから、草を食べて分解して、そこからミルクを作ってくれることに価値があるのではないか」と話していました。そこに共感し「この人がいる牧場で研修してみたい」と思ったんです。実際、その牧場は日本の山を牛で活用していく『山地酪農』を拡げていこうとしたので、そこにも共感していたことも理由にあります。

僕が生活していたエリアは若者が都市部に出ていっているのが現状でした。その中で色々と気づかされることもありました。牧場の中で山菜を採ったり、地元の人から食べ物をもらったりすることでお金はなかったけど、生活はとても豊かでした。

地元の人が食材を丁寧に扱っていたり、保存食の文化が丁寧に残っていることは、仕事があまりなく、雪が多い冬場で食料が中々手に入りづらい厳しい状況だったこそ、必死に生きていく中で地元の人たちが自然に見出してきてかもしれません。

また、若者が都市部に行ってしまうという現実は、街の文化が残らなくなってしまう問題に直結してきていると感じたんです。直接お金じゃない恵みをたくさんもらえる田舎の良さを感じつつ、仕事がないと人や文化が残らない田舎の大変さも知りました。

仕事でちゃんと稼げて、一方でお金をかけなくても生きていける暮らし、僕はその両方が必要だと思いました。それを理想論ではなくて、会社として仕組みを作っていくことが大事だと感じ、『森林ノ牧場』の理念である“「田舎で暮らす」をつくる”に繋がることになります。

就職して2年後、岩手の牧場が倒産してしまい、僕は京都でリサイクルなどを行う会社に転職しました。そこで京都で牧場を立ち上げる仕事に参加したんです。「日本には多くの山があるけれど活用されていない、そこに牛を入れることで、もう1回価値に変えていこう」という森林ノ牧場の立ち上げでした。

京都で立ち上げた後、栃木県那須町でも『森林ノ牧場』を立ち上げることになり、僕のそのタイミングで那須へ引っ越しました。しかし、牧場が赤字だったこともあり、2011年の初めに牧場事業を撤退するするという話になったんです。赤字が続いている現実から「仕方がない」という気持ちもありました。

しかし、同時に僕の中では“これから”のタイミングだと思っていたんです。4年前の立ち上げから現場を見ていて、お客さんが徐々に増えてきていたし、まだまだこの牧場でやれることもあると感じていました。撤退が決まった時点で、僕は社内で他の施設に異動することを聞かされていたのですが、牧場以外の仕事をやりたい気持ちはありませんでした。

「僕ができるのは、この那須で、森林ノ牧場で働くことかな」
そう思い、事業継承をし、自分で牧場を経営する覚悟を決め、2011年4月から新しいスタートを切るために、準備を進めていくことにしました。
しかし、2011年3月11日、東日本大震災が発生し、スタートを切る前から窮地に立たされることになります。

(中編に続く)

話し手:山川将弘(森林ノ牧場 代表)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:森林ノ牧場
インタビュー日:令和2年11月18日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。