興味があるものに対して同じ熱量で話せる人たちの存在

元々家具やインテリアに興味があった私は、大阪にある雑貨がメインのお店に就職しました。雑貨の歴史や店舗運営を学ぶいい機会だったのですが、仕事だけではなく+αの活動をやりたい気持ちが高まったことや、信頼できる人たちがいる長野がいいと思ったことから、転職することにしたんです。

ネットで「長野 北欧家具」と何気なく検索で、前職の『haluta(ハルタ)』を知り、無事に転職することができました。ただ、最初の2年くらいは東京勤務でした。東京での勤務はやりがいもあり、人にも恵まれていましたが、長野で活動したい気持ちは常にありました。

その後、本社がある上田勤務になり、そこでの時間が自分にとって転機となりました。元々『haluta』は家具や雑貨、カフェ事業をしていたのですが、私が上田勤務になった時には、設計や不動産、ベーカリー事業も始まった時期でした。家具やインテリアが好きだった自分からすると、1歩外に出た感じがしました。

東京では販売メインだったけど、上田に来てからは設計の打ち合わせに同行したり、会社のブランディングについて考えたりで、知識や経験も足りないことを痛感する日々でした。忙しさの内容、頭の使い方が東京勤務の時とは違っていたけど、それはそれで、とてもやりがいを感じていました。

「医食住」から心地よい生活を提案するため、ある時、会社のメンバーで「食」についての研修に参加する機会がありました。食品添加物や化学薬品などが実は生活のあちこちに溢れていて、しかも時には好んで食べていたその味は食品添加物によって作られた味で、自然な味でなかったこと、表面上しか見ていなかった物事の見えない部分を知って衝撃を受けたんです。それまでは何も考えずに食べていたものに対して、食品を選ぶ過程で、どの食品がいいのかと考えるようになりました。

上田勤務になってから一番恵まれていたのは、人です。自分が興味のあるものに対して、同じタイミングで同じ熱量を持つ人たちとお互いにオープンに話せる機会が多かったことだと思います。そのような環境で、会社の新しい動きやスタッフの価値観や考えを聞いたり話したりすることで、モノだけではなく、食や環境にも目を向かうようになりました。

私の周りは、私自身ができないことができる人や、私が持っていない考えがある人ばかりでした。私はそういうスペシャルな人たちを「頑張れー!」と補助する役割が適任だと思い、彼らができない・見えない部分があれば、そのサポートに徹しました。一個人でやれることに限りがあっても、それぞれの思いを汲み取り、明確に現場へ落とし込むことで、それを一企業として表現できた価値は大きかったかと思います。

ただ、そんな恵まれた環境の中で、海外へワーキングホリデーに行きたい気持ちが高まっている自分がいました。やりたいことを実現するには、会社を辞めるしかない、そう思って会社のオーナーに自分の気持ちを伝えました。そしたら、オーナーからは意外な言葉が返ってきたんです。

「辞めなくてもいいんじゃない?海外でもこっちの仕事ができるようにシステム構築してから行ってみたら?」と仕事を続けながら、自分のやりたいことができるように提案してくれました。コロナの前の段階で、フルリモートで関われたことは良い経験になりました。

何よりオーナーの許容力、自身のライフルタイルに対する意思決定を否定しないその寛容さに救われた、その言葉に尽きます。

誰だって、いつだって、道の途中なんだ

私が通っていたデンマークの学校は総合学科のようなところで、パーマカルチャー・ダンス・ライティング・陶芸等、色々な授業がありました。私は特にパーマカルチャーに興味があり、この学校を選びました。そもそもの手法は小中学校で習っているようなことが多かったのですが、それをどう実際に使うかという視点が面白かったです。

例えば、一杯の紅茶を飲むためにティーバックを買うとなると、茶葉を作る、土を整える、そして、その作業をする農家さんがいる、梱包するための資材を作る…深掘りしていくと、その過程で農薬を撒く・茶葉を刈るための石油エネルギー、そして出荷や梱包するときのエネルギー、小さい自分に紅茶一杯がくるまでにどれくらいのエネルギーがかかるのか、どこに無理が出ているのか、どこで無理やり調整しているのか、自分で茶葉を作れたらどうなるのかという疑問が出てきます。

勿論、労働の雇用という部分が雇用者・被雇用者双方での必要性が出てくるけど、元々使っていたエネルギーを別のパワーに変えれば良くなるのではないかと考えるようになりました。「教えてもらう」というよりも、「考え気づく」授業が多かったです。

デンマークでの生活については、寮に入り、色々な国の人と共同生活を過ごしていました。日本だと気持ちが乗らない時があっても人が集まっていれば、その輪に入らないと申し訳なさや人目を気にすることがありますよね。「こうした方がいい」とか「こうすべき」という、自分の内側から出る「こうしたい」という気持ちよりも外からの無言の外圧的を気にしてしまう感じ。

でも、私が過ごした寮では、無理に輪に入らなくても、「そういう日もあるよね」と言ってくれるような環境でした。静かに過ごすことや気持ちの波があっても、それが悪いことじゃないと思えた環境でした。「これでいいんだ」とお互い認め合える環境は、無理なく時間を過ごせて居心地の良いものでした。


(写真提供:八木さんより デンマークのワーキングホリデーの一コマ)

デンマークで生徒として、ガーデンのアシスタントとして1年数ヶ月を過ごした後、現場の仕事に復帰するために日本に帰国することになりました。日本に戻ってからは、仕事を続けていく中で、自分の力不足を感じるようになり、『haluta』を退職しました。

自分ができることを探して、次のステップに進むためです。どこで働くとか、どんなことをしたいということなど、具体的なことは決まっていません。今までは会社という組織の中で誰かがいたから、自分の役割と感じていたサポートすることが成立していましたが、一人ではそれが成立しません。

0ベースとなった時に、自分はどういうスキルを持っているのか・どういう表現方法ができるのか、と模索している段階です。自分の足で立てるよう自立する・自給率を上げる、それが今の目標かな。

能天気かもしれませんが、自分が模索しているものの答えを出すのに時間はかかっていいと思っています。どんなにスペシャルな人も、年齢重ねた人も、誰だって、いつだって道の途中なんです。焦る時は心のままに焦ればいい。自分はノーマルな人だからとか、早い遅いとか、何が正解なんてこともない。

そういう思考になっているのは「これでもいいんだ」と思えた環境にいたかもしれませんね。自分の気持ちに正直に…私自身これからどうなっていくかわからないけど、この感覚はずっと大事にしていきたいです。

(終わり)

前編はこちら

語り手:八木英理子
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:haluta AndelLund
インタビュー日:令和2年8月15日
○編集後記
僕は自分に自信がないタイプだからか劣等感が昔からあります。自分の中に誰よりも優れた力はあるはずなのに、周りと比べてばかりいて、嫉妬や言い訳ばかりしていて何もしていなかったかと思います。

八木さんの第一印象は「地味で大人しそうだな」でした。しかし、八木さんと行動したり、お話したりしていると、自分がスペシャルでないと認識した上で自分に何ができるか、どうアウトプットできるかって常に考えているんだなと思うようになりました。八木さんとの出会いは、僕にとって小さなことでも、どんな状況でも何か考え行動するきっかけだったかもしれません。

インタビュー中に「誰だって、いつだって、道の途中なんです」って話してました。『てまえ〜temae〜』のキャッチコピーでもある「誰だって、いつだって、一歩てまえ」も同じですが、特別な力を持っている人だろうが、どんな実績がある人だろうが、立ち止まっている人だろうが、皆何かしら手前なんです。僕だってそう。

僕がこのメディアをやっているのは、色々な手前にいる人たちの人となりや葛藤を描くことによって、「これでもいいんだ」って思って自分ごとに捉えてほしいからなんです。そうなることで、自分がいる状況だったり、自分の持っている力を受け止め、色々な意味で一歩を踏み出せたら。八木さんのインタビューを通じて、改めてそう感じました。

八木さん、haluta(上田)の皆さん、ありがとうございました。

編集長 上泰寿

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。