以前、北欧家具の会社で経理や事務の仕事をしながら、デンマークへワーキングホリデーに行かれていた八木英理子さん。そんな八木さんから、今までの人生を通して自分自身の変化や、今後のことに対する思いについて伺いました。

八方美人な自分が書(描)く“自分らしさ”

学生時代、私は一定のグループに属することが苦手でした。仲の良い友人はいたのですが、色々なグループの中に入って遊んだり話したりすることを好みました。他の人からは、どういう風に見えていたかは正直分かりません。

ただ、学生時代に自然とできあがるグループは、それぞれ色が違って面白いなって思えたから…単純かもしれませんが、それが一番の理由です。それぞれのグループで盛り上がる話題が異なることにワクワクしている自分がいました。

学生時代にありがちな“特定のグループに所属する”ことがうまくできていないんじゃないかと、当時は何となく周りの目を気にはしていましたが、今も昔も、いつでも楽しくありたかったんです。

グループ意識ではなく、純粋に共通の話題で楽しく盛り上がれたからこそ、たくさんの人にに受け入れてもらえたのかな、と思っています。

ただ、怒っていても気づかれないくらい、いつもニコニコしているイメージが強いせいでしょうか。周りの人から良い印象を持たれがちな自分は、自分自身の本質も、その印象に近づけたいという思いもありました。私は、そういうところが八方美人なんでしょうね。それは今でも変わらないかと思います。

そんな自分が夢中になったのは小学校の時から習い始めた書道でした。ある意味、デザインに近い感覚だと思うのですが、バランスを自分で考える・それに基づき整えて書くことが好きだったんです。小学校の時は模範となる字を真似して綺麗に書くスタイルでした。

中学生になるとバトミントン部に入ったので書道をする時間がなかったのですが、高校で面白い部活に出会いました。それは、筆で字を書きつつ、絵を描くスタイルの『書画(しょが)部』と呼ばれるものでした。特に定められた形式はなく、書きたいものを自由に書くスタイルが新しい世界だなと思い、バトミントン部に所属をしながら兼部することにしました。

私は書道に興味がない人にもおもしろいと思ってもらえる作品を書きたいと思い、ダジャレなどジョークの多い作品を中心に制作していました。「鶏が二羽、庭にいた」「虎を捕らえた」等、小もないダジャレも多かったですが、自分らしい字と絵を構成することが楽しかったです。

大学の卒展でも、『書画部』の経験を活かして、来場した人に対して作品を見やすく、かつ、くすっと笑えて楽しく見れるように工夫をしました。来場した友人から「八木っぽいね」って言われ、嬉しい気持ちになったのは今でも覚えています。

最初にお話した私の八方美人な部分は他人が見る自分の姿の中に自分の理想を形成している部分にありますが、“書く”ことは”ただの自分を表現するひとつの方法”なので周りに合わせることはできません。

“書く”こと通してアウトプットしたものが、見た人から“自分らしさ”として捉えられることはとても興味深かったです。日常の人間関係や『書画部』での経験を通じて、だんだんと私自身が“自分らしさ”を認めることができ、「こんな自分でもいいんだ、大丈夫なんだ」と思えるようになりました。

一緒に種を蒔き、色々な芽を増やしていきたい

高校2年の時に夏休みの数週間をオーストラリアでホームステイをする機会がありました。何かを学びたい気持ちというよりは、幼少期からテレビを見て何となく海外に対して憧れがあったからです。そのたった数週間で文化の違いをたくさん感じることがありました。

例えば、スーパーマーケットまで裸足でお買い物に来ている家族や、日本が中心になっていない世界地図など、細かい違いではあるけど、角度をずらして文化を見ると純粋にその違いや自身が当たり前と思っていたことが実はそうでもないようだという気づきが面白いと思ったんです。そのような背景もあり、大学は信州の国際理解学科があるところへ進学しました。

大学に入って感じたのは、想像以上に大学内の学校教育色が強いことでした。私は自分が一方的に話すことがあまり好きではありません。良い点数を取るため・良い大学に行くための先生からの一方通行になりがちな授業形式は、私には合わないかも…と感じていました。「どうして学校の先生を目指さないんだ」と言われることもありましたが、その環境にいればいるほど、学校教育に正直あまり興味を持てなくなっていました。

当時、授業とは別に、大学の有志で小学校の子ども達を対象に色々なアクティビティを企画していました。公民館を貸し切って約100人の子ども達と一緒に通学合宿を行い、1週間程みんなで寝食を共にする公民館から学校へ通学させたり、当時テレビで人気だった『逃走中』を子ども達と一緒にやったりしました。

1日でも1週間でも一緒に過ごしていると、子ども達のちょっとした成長を感じられるんです。「できたじゃん!」と私から子ども達に声かけすることもあれば、「これってこうじゃない?」と子ども達から教わることもたくさんありました。教育とは違うけれど、子ども達と同じ目線で対話をすることや、それをきっかけに一緒にステップを踏んでいくことは、私が思い描いている光景そのものでした。

私は「これがいいんだよ」って考えを押し付けたいわけじゃないんです。目の前にいる誰かと対話をして、そこから新しい種が蒔かれ、それぞれ違った芽が出てくる…そして、色々な芽について誰かと話をする…「こんな考えもあるんだ、それでもいいんじゃない?」「こうすればもっと良くなるかもね」って声が行き交うことで、お互いにとって良い選択肢や糸口を増やせるのはないかという思考は今でも変わりません。

後編はこちら

語り手:八木英理子
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:haluta AndelLund
インタビュー日:令和2年8月15日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。