自分の頭で考える人を増やす

地球環境に取り組みたいと思っていたとはいえ、一人でどうにかしようと思ったわけではありません。ある本で『一人で一万歩より、一万人で一歩』ということを言っていました。

その本には、危機意識を持つたった一人が一万歩進むより、一万人が例え少なくとも着実に一歩進む方が良い、という内容が書かれていました。私は地球環境に対しても同様な思いがあったんです。しかし、そんな思いとは裏腹に浜松ではそのようなことができる仕事がありませんでした。

地球環境に深く取り組む一環の一つとして“まちづくり”に興味を示すようになりました。当時、中心市街地活性化の中で「公害を無くしていくために脱車の暮らしがエネルギー削減に繋がるのではないか」と思ったことや、まちづくりに取り組むことが引いては地球環境に対する意識を広げる手法の一つになるのではないかと思ったんです。

そこで、行政の人や街中で色々と活動をしている人たちの集まりに顔を出すようになりました。その中で、同じようなマインドの人と知り合ったり、関わり合ったりする機会が増えてきたんです。

自分の思いを形にするには、一人では当然難しいですし、もっと地球環境等について知るきっかけ作りや場所が必要なのではないかと考え始めました。それが場づくりについて意識をし始めた原点かもしれません。

その中で辿り着いた答えがコミュニティカフェでした。色々な本を読んでコーヒーに深く興味を示すようになったことも背景にあります。

意識したのはコミュニティに興味がなかった人との交流だったので、固定店舗ではなく、より不特定多数がいる場所、かつ、パブリック性があることを考慮し、公園がいいかなと思い、行政(市)にアプローチをかけていきました。

それがきっかけで浜松城公園にて『タタズミcoffee』の店主としてコーヒーを淹れさせてもらうことになったんです。この公園は観光客が多く、国籍・性別・年齢が非常にバラバラで、ここでお店をやってみて本当の意味での場づくりについて課題を考えていくようになりました。

『タタズミcoffee』を始めてから「まちづくりとは何だろうか?」って考えていた時、リノベーションスクールが浜松市で開催されることを耳にしました。話を聞いていると、私がそれまで考えて動いてきたことと精通すると思い、受講生として参加することにしました。

そこで出会った、現在『浜松PPPデザイン』のメンバーである鈴木さんから「岩手県紫波町の岡崎さんの話していたことが松島さんのやりたいことと凄く近いよ」と教えてくれたんです。

私は「相手(人)がいて相手(人)に届けることが目標で、何かをやり続けることではなく、波及させることが重要だ」と思っていました。そういった時に公共性(行政)を常に意識していたんです。

行政だけ・民間だけではなく、行政と民間が連携する公民連携の話だったり、紫波町の取り組みだったりを知って、その流れで公民連携プロフェショナルスクールがあることを知りました。

講師の方が指定した課題図書が膨大にあり、それを1週間に2〜3冊読んでレポートを書くというタイトなスケジュールでした。それでも、課題図書がいい勉強になるものばかりで、かつ、今までにないくらい楽しんで勉強ができたんです。

課題図書の中でブロガー・ちきりんさんの著書『自分のアタマで考えよう』の中で書かれてきた内容が印象として残っています。
それは「自分では考えている。けど実は、考えているようで考えていない」という内容でした。

その言葉の意味としては、頭で考えて自分の答えを導き出していると思っているが、実際はどこかで聞いたり知っていた知識の中から探し出しただけで、前例や今までの常識などがベースとなって導き出された答えになってしまうので、本当の意味での思考回路が巡らされた答えとは異なる、とも言えます。

これからの社会は今までの知識だと通用しない社会になってきていて、そういう状況だからこそ、ある意味“編集力”が問われるのかもしれません。

ある要素と違う要素を組合わせたり、新しい要素を作ったりという思考回路がないと複雑化した社会に対応するアクションが難しくなってきているのではないかと考えています。

1でも2でも

私がやりたい場づくりは、1つの物事に対して色々な立場(年齢・性別・職種等)の人たちが一緒に考えるフィールドを整えたり、同じ答えでも各々が自分の思考で自分なりの答えを出すきっかけを作ることです。

思考回路の話に戻ると、教育レベルからの問題になってくると思います。子ども達に教育する先生が右向け右の教育を受けてきて、その先生から学ぶ子ども達も右向け右の教育に染まってきてしまう…。

与えられたもので暮らしたり与えたれた仕事だけをこなす毎日で、恐らく自分から能動的に考えなくても生きていけると思います。私自身も昔はそういう暮らし方をしていました。

ただ、“生きていける”ってことは、そのことが罪になることだってあると思うんです。例えば、生きていく中で無意識に地球資源をものすごい量を消費してしまい、結果、環境を破壊している、という正しい判断じゃないことが含まれていることだってある…。

私が運営している『タタズミcoffee』の『佇む(たたずむ)=タタズミ』は「時間・とき」がテーマになっています。ちょっと立ち止まってボーっとする、ただ、その中には単にボーっとするだけじゃない。

「一つ一つの自分の行動に対して見つめてみる時間になってほしい」という思いを込めているんです。「何も考えずに右に行けと言われたら右に行っていたけど、本当に右で正しいのか?左は間違っているのか?」ってこともあるかもしれません。

世の中に人たちが右に行って結果的に自分が右に行ったとしても、「なぜ?」右に行ったのか考える感覚は必要じゃないか、私はそう思うんです。

学生時代、父に勧められた本がありました。研究者として、20世紀中に無理と言われていた青色発光ダイオードを開発し、社会の中で無理と言われていたことに対して向き合ってきた人の話です。父が世の中の人と違うタイプだったからか、私は皆と違う着眼点を刷り込まれていたのかもしれません。

ただ、私が今やっていることも、他にも同じようなことをやっている人が沢山いたら自分はやっていなかったと思います。どんな仕事であっても「自分じゃなくても出来ることではないか?自分にしか出来ないことか?」って考えていて、世の中の色々な隙間の中で誰もやっていなくても自分ができそうなものを無意識に探しているんです。

地域社会の課題などもより複雑化してゆく中で、コミュニティの在り方や役割も複合的な形式で取り組む必要性も可能性も感じており模索しています。

複合型な取り組みの一つとして環境やサステナブルにコミットした活動を展開しています。私、建築家、ガーデナー等、全員環境に対して深い考えを持っているメンバーで構成されており、佐鳴湖公園で『フォレストガーデン』という食べれる森を作っているところです。

これはパーマカルチャーというのが手法にあります。持続可能な豊かな暮らしを作るための教育・アート・食等、あらゆるリソースをうまく柔軟に置き、その中の一つのエッセンスとして『フォレストガーデン』を作ることにしたんです。

暮らしに根付け続ける自分たちが生産者であり続ける意味合いがそこにはあります。地球の人口が増え続け、今後人口が100億人になり、食糧難になる時代がやってくるかもしれない。

そんな時、いつどういう状況になっても、ある意味、誰しもファーマーになることがベースになり、自分の食べ物に対して意識して作っていけたら、と考えています。

森って樹木だけでなく、多くの種類の植物で構成されているんです。その生態系をしっかり理解した上で、この木の下で植物があるから、お互い補完し合っている…そういったものを網羅してガーデン作りをしています。

今後例えば、他の公園や街路樹などをフォレストガーデンにしたり、地域の間伐材や廃材を使って小屋を作ったり、その小屋で太陽光を設置したりすることで、行政に対してアプローチしていることを複合的に、かつ、わかりやすく・見やすくアピールすることができると思うんです。

地球環境と言っておきながら、私自身、自分の生活を見直さないといけない点はたくさんあります。だから、私は仙人のようにはなれない。

だからと言って、何も言わない・しないではなく、1でも2でも取り組むべきやれることがあればやりますし、そこから波及していくことに悪いことは何一つだってないんです。

0からいきなり生み出そうとしても動けないけど、そうじゃなくて動いた中で諸々考えていくこと大事だと考えています。私が思い描いていることで形にできるのは生きている間にほんの僅かかもしれない。まだまだ足りないことだってある…。

それでも、今での知識や経験から学び得たことや、これから生まれるであろう新しい要素等をうまく結びつけたり、自分なりに思考しアウトプットし続けていきたい。そう、隣にいる誰かだったり、思いが届いた顔の見えない誰かと一緒に…。

(終わり)

前編はこちら

話し手:松島弘幸(タタズミ coffee/浜松PPPデザイン
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:タタズミ coffee(浜松城公園内)
インタビュー日:令和2年12月14日

●編集後記
インタビュー中にちきりんさんの著書『自分のアタマで考えよう』の話になった時、ドキッとした自分がいました。今までの自分を振り返ると、確かに、得た知識の中のものを探し出して当てはめていただけだったかと思います。

その部分は今もまだ根強いかもしれない。年齢を重ねてから自分の姿勢や思考を変えるなんて容易じゃない。松島さんのおっしゃっていた通り、小さい頃からの教育レベルの話になってくると思います。

それは学校の教育もだし、家庭での教育もそう。勿論、皆さん愛情をもって子育てをさているし、学校現場の方々も今まで学んできたことを子どもたちに伝えている。誠心誠意されていることはわかっています。

でも、悪気がないからといって、誠心誠意尽くしているからといって、それが良いわけじゃない。当たり前だと思っていたことが、良かれと思っていたことが、実は見えないところで少しずう何かに対してダメージを与えていることがある。その点もインタビュー中に自分自身に対してドキってしてしまったのを覚えています。

教育レベルになると本当壮大な話になってきます。一人の力じゃなんともならない。でも、だからといって何もしないでいいわけでもない。一人のやったことが、ある一人に伝わってその人が変わるかもしれないし、更にそこから一人二人と伝わっていくかもしれない。

その小さな積み重ねの先に思い描いている未来が訪れるのかもしれません。もしかしたら、僕たちが生きている間には実現できないかもしれないけど、未来の子供達やその先の世代がそのバトンを受け継いで、それこそ『一万人で一歩』を踏み出せているかもしれないですね。

僕が『てまえ〜temae〜』をやっているのも、たくさんの人に見てほしいとか自分がインフルエンサーになりたいわけではありません。一人に伝わったことがその人自身を少しでも変化させて、それが次の誰かに伝わっていけばいい。そんな感覚なんです。

自己満足なのかもしれないけど、僕も松島さんや他の取材を受けてくださったことを伝えることによって、『一万人で一歩』ということのほんの一部にでもなれたら嬉しいなと思いました。

松島さん、本当にありがとうございました。

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。