余白

震災後、千葉県にある金谷というエリアを活動するようになります。きっかけは、震災があり、社内でお客さんに対してできることを迅速に対応しようと思い、動いていた時のことでした。

お客さんの声を集めて整理し、他の部署や上司に対応案を提出したのですが「いま、そんなことをやっている状況じゃない」と一蹴されてしまったんです。当時、「もっといい街を作るにはどうすればいいのか?」と勉強をしていました。

そのタイミングで震災があり、社内の対応に違和感を感じてしまっていたので、社外で色々勉強していこうと思うようになったんです。その時、SNSを使って情報収集をし、ピンときた人たちに自分から連絡をして会いに行くようにしました。

そうしているうちに、あるイベントで知り合った人が「千葉県の金谷に引っ越すんだ」と話していて、金谷で再会する約束をしたんです。そこから金谷で活動をしたり、色々な人と出会うことになっていきます。

地元の地主さんから「ホテルの廃墟をどうにかしてくれないか?」と相談を受けて皆で白ペンキで塗り、リノベーションをしました。そのスペースは『KANAYA BASE』(以下:金谷ベース)と名付けられることになります。

金谷ベースきっかけで地元の人たちと仲良くなり、地元にある生徒数が少ない小学校の運動会に参加したりしました。

金谷ベースでの原体験は余白だと思っています。大きな空間があるだけで自由に遊べる場所があり、面白い人たちがたくさん集まってくる。そういう繋がりがどんどん増えていくのは不思議な感覚でした。そこには余白があったんです。

「何でも作れるよ」
「あなたがやってみたいことをやってみるといいよ」
「僕たちもサポートするから」

そんなスタンスの雰囲気が最高に良かったんだと思います。

震災があって、皆何かしたいとか、自分の暮らしを良くしたいとかを考えている時に、そのような場所が生まれたから様々な相乗効果が起きたのかもしれません。それぞれができる範囲で面白いことをやっていく流れは文化祭のような雰囲気でした。

僕の中で金谷ベースのメンバーって500人ぐらいいると思っています。皆「金谷ベースのメンバーです」と言っていて。遠い人だと沖縄でそう言っている人がいるみたいです。

特にメンバー制度を使っているわけではありませんでした。でも、「自分は関わっているよ」って言える場所っていいですよね。本当、こんな面白いことが起きている空間に立ち会えて嬉しかったです。

その後、ハウスメーカーを退職。2つの会社に転職したり、フリーで現場監督をさせてもらったりすることで店舗デザインや初めてのDIYも経験しました。特にDIYが経験できた会社では、当時新しい働き方をしている人たちが一緒でした。その会社は僕にとって憧れでもあったので、そこで少しでも働けたことは良かったと思います。

ある時、金谷ベースで一緒に活動していた編集者の友人が「ケンケン(※)は次は島根だと思う」と言ってきたんです。その言葉を言われるまで、僕は島根に行ったこともありませんでした。

そこで、その友人との話の流れで島根に一緒に旅をすることになったんです。4人で山口の萩や島根の色々な所を周りつつ、江津に入りました。

より良い暮らしをどう作っていくか?

江津では家具と空間デザインをメインの会社を訪れることになります。その会社について、事前に色々調べていました。実際、会社のメンバーにお会いすると皆さん面白い人ばかりでした。

その場で「じゃ僕この会社に入ります!よろしくお願いします!」と会社の代表の方に伝え、押しかけ採用してもらいました。採用してもらうまで、DIYしか経験したことがなく、家具製作や空間デザインができるイメージはあっても技術はありませんでした。

それでも、不安よりも初めて空間デザインができることに対するドキドキ感が強かったです。入社してからは、自分なりに勉強したりして、モノ作り自体そのものや、モノができるまでの流れもわかってきました。純粋に、その会社での仕事が好きだったからこそできたんだと思います。

しかし、入社して11ヶ月経過し、予想もしなかった事態が襲うことになります。それはアトピーになったことです。症状が出てきた当初は仕事しながら治療していました。でも、最終的に上半身が血だらけになり、動かすと体が悲鳴をあげるぐらいのレベルにまでなってしまったんです。

その状態で仕事をするのは難しいと思い、2ヶ月程療養することにしました。アトピーの原因って複合的なんです。仕事面で言ったら、僕のスタンスとしてはデザインスキルをつけたかったので最初の1年間は集中したかったですし、何よりその会社が好きでした。

だから、会社の理念を理解し汲み取ろうとして頑張っていた時期でもありました。もしかしたら、気を張っていたかもしれないし、初めて生活するエリアで体の順応が追いついていなかったのかもしれない。

療養中は自分で治るために色々な本を読み、学びながら治療していきました。食べたり断食したり、体を温めて自律神経を整えていったり。そうすることで、症状の回復が早くなっていったんです。

アトピーになったことで自分の体と向き合いました。
「なぜ、症状が表れているのか?」

その問いをひたすら考えた結果、原因は食べ物が一つにあったことや、その食べ物を改善することで治すことができることができました。

体調が回復後、江津から離れることになります。地元へ戻っている旅路で津和野在住の友人と再会しました。そこで建築案件ついて相談を受けたんです。

僕は江津で働いている時、津和野で食の学校を立ち上げようとしていた人たちと関わっていました。津和野から近い山口の萩に友人がたくさんできていたことや、津和野が面白そうだなと感じ、津和野へ引っ越しすることになります。

津和野に引っ越し後、2016年11月に『糧〜ハタガサコの学び舎〜』(以下:糧)をオープンさせました。地元の野菜を使ったランチの提供や体について学べる勉強会、整体の施術会、手仕事のワークショップを行っているところです。

アトピーになったことで自然療法や食事療法で体を治したことで、そういったことについて食を通して学べる場を作りたいことも一つの理由としてあります。

僕は設計士でありデザイナーです。そして、不動産もやっていた経験があります。そんな僕の中でずっと根元にある問いが「より良い暮らしは、どのように作っていくんだろうか?」です。

暮らしって様々な要素で成り立っていて、衣食住もあれば自然環境、政治等、ミクロからマクロまで色々あります。僕が津和野で糧以外に建築家として仕事をしているのは建築ができて、建築で貢献ができるから。

「こうなったら暮らしやすいよね、楽しいよね」ってことを実現させるための手段の一つとして建築をしているんです。僕の建築スタイル自体は固定されていません。その場所の動きや流れ、関わる人や状況に応じて僕自体が変化するようにします。

ハウスメーカー時代に先輩から「建築や不動産をやっている人はお医者さんなんだよ」と言われました。なぜかというと人生で一番大きい買い物が家って言われるぐらいで、その時に人の自我や欲望がたくさん出てくるんです。

担当者が気づいても何もしなければ、その人はそのままになってしまいます。気づいて「あなたは今こうなっているけど大切なものは何ですか?」と聞くことがお医者である建築家としての役割だということを教えてもらいました。僕はそういう人との向き合い方を大事にしたいと思っています。

※大江さんが友人たちから呼ばれているニックネームです。

(後編へ)

前編はこちら

話し手:大江健太(糧〜ハタガサコの学び舎〜/高津川デザイン工房
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年3月24日
インタビュー場所:糧〜ハタガサコの学び舎〜
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。