奈良県橿原(かしはら)市にて『伝統食カフェ〜楽膳〜』の店長として従事されている桝岡未佳さん。そんな桝岡さんから、幼少期から遡り、現在に至るまでの背景等を伺いました。
皆、主役に
私は大阪府枚方市で生まれ育ちました。枚方市は今では拓けているイメージがあると思いますが、私が小さい頃は自然や山がたくさんあったんですよね。実家の裏が山だったので隠れ家を作ったり、夏には市内の天の川へ家族でホタルを見に出かけたりしたことが思い出として残っています。
兄妹は、8つ上の兄、5つ上の姉、私の3人でした。今思えば、私は『三匹の子豚』の一番下のようなタイプだったかと思います。兄や姉の行動をいつも見ていて真似をするというより「自分はこうしよう」と別の行動をするタイプでした。
日々の過ごし方としては“淡々と”していたかと思います。特に夢中になるものはなくて、学校から帰ったら宿題をして、その後に外へ遊びに行く過ごし方をしていました。
人の癖を観察してばかりいた私は、小学校の頃から一人でいる子のことが気になっていたんです。それは、そういう子と話をして面白いところを見つけたり、「何をしてもらったら、この子の面白さが出てくるのか」について考えたりすることに興味があったからだと思います。
結果、教室にいたクラスメイト全員の特徴を観察し、一人一人の特徴を把握した上で、それを絵に描いていくこともしていました。そんな私は特定のグループには属さず、色々な子と話をしていたタイプでした。
クリスマス会があれば、自分で脚本のようなものを書き、クラスメイト一人一人に対して役割を決めて、それを皆の前で披露していました。一人一人の役割は、普段観察をし、特徴を掴んだ上で「この子はこれをしたら面白いだろうな」と思い、割り振っていた感じです。それは中学校時代や高校時代も劇の脚本を書くことで同じようなことを続けていました。
私は映画監督の三谷幸喜さんの作品が好きです。三谷さんが手がける作品って、絶対皆主役になるじゃないですか。一人一人の役者さんの個性が引き出されていて、非常に面白い。私もそれに近いタイプで、脇役は無く、その場にいる人たちが主役になるような場を作りたかったんです。
だからと言って部活は演劇部じゃなくてテニス部に所属していたんですけどね。“いちよ”部長をさせてもらいました。皆に「部長になったほうがいいよ」って勧めてもらったけれど、内心リーダーシップをとりたい気持ちは強くなかったんです。
当時は部員に対して、部活を面白くしてもらうような動きはできませんでした。でも、もし、今部長をやらせてもらったら、部活を如何に楽しくできるように考えると思います。昔から“皆で如何に楽しむか”という過程を大事にしたい気持ちのほうが強いんでしょうね。
本当にやりたいことって?
高校の進路を決める時期になり、私は英語学科がある学校に行きたい気持ちがありました。小学校の時に初めて観た映画が洋画だったこともあり、それ以降、英語を勉強したいと思ったからです。しかし、勉強の成果も及ばず、普通科に入学することに…。それでも、英会話教室に通い、英語の勉強をずっとしていたんです。
高校に入ってから英会話教室で知り合った先生がシアトルに引っ越すことになり、それがきっかけで、シアトルで短期ホームステイに滞在することになりました。現地では、カルチャーショックではなく、いかに自分が日本のことを知らないことを痛感させられることになります。
英語のレッスンの中で、日本にことについて色々と質問されたんです。何となく漠然としたイメージは頭にあるのに、うまく言語化ができなくて…。
英語は自分の世界を広げるコミュニケーションのツールとして学んでいました。日本人によくある「〜〜でなければならない」という思考よりも、「〜〜でもいいよね」という個性を重視した思考が強い海外に対して憧れが大きかったのかもしれません。
英語を通じて全く違う世界を見に行きたかった気持ちもありました。そんな気持ちでホームステイしたのに、海外のこと以前に、日本のことをまだまだ知らないと痛感するとは思いませんでした。
大学でも英語を学びたくて、短大の英語学科へ進学しました。しかし、就職活動の時期になり、「あなたは何をしたいですか?」と聞かれても何も答えられない自分がいたんです。
自分の世界を広げるために英語を学んできたけど、例えば、スチュワーデスになりたいわけでもない。英語と使って何か仕事をしたいというわけではなかったんです。
何がしたいかわからなくても就職活動をしないといけない時期だったので、保険会社や銀行等を受けました。面接時はマニュアル本に書かれていることを機械的に答えただけ…。どんなに就職活動を進めていっても、本当にやりたいことが見つからなかったんです。
日本では大学までのレールって大体あって、そのレールに乗っかっていけばなんとかなると思います。ただ、大学を卒業した先のレールってないんです。それに気づいたのが就職活動の時期になってからでした。
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