自分で一つ一つの物事を判断できる社会になるには

山形に2年間住んでいたので、東北には思い入れがありました。「これは現地に行って何かしないといけない」という気持ちが出てきたんです。

東日本大震災のニュースを見て、原発の状況を見ながら支援活動に関する情報を集めているうちに、東京に事務所がある支援団体の求人を発見…採用後、そのまま災害支援に関する研修や、自分なりに勉強をし、震災発生1ヶ月後の4月11日に仙台入りしました。

最初はカブに乗って仙台市沿岸部を巡って被害状況の確認をしたり、行政機関や関係機関へ情報収集に出向いて、その情報をもとに支援物資を避難所へ持って行ったりしました。あれだけ大規模な災害だったので行政機関だけでは各避難所や被災者の状況を把握できない。それが現状でした。

被災した人でも、津波が来る前の対応が分かれていました。「こんなに揺れたらとんでもない津波が来る」と、すぐに高台に逃げた人もいれば、周りの人が逃げないので自分もそのまま家や低い所で待機している人、そして場で判断や対応をする人の指示に従って逃げ遅れた人…逃げるべき時に、きちんと逃げられない人たちが多かったんです。

「逃げ損だった」「今回は無事だったから、次は逃げる必要はないよね」という思考が日本人には多いことを痛感しました。どんなに防災設備や防災計画を作り上げても、逃げるべき人たちが、そのような思考だと同じことが繰り返されてしまう…その辺の文化を変えていかないといけないと感じました。

教育や環境問題だって、カテゴリーは違えど、全部根底では繋がっているんです。周りに非難されても、大きな声で否定されても、「自分はこういう考えでこうしたんだ」「周りにどう言われたって、そんなの関係ない」って“自分で物事を判断して何かを決める力や意思”が必要だと感じました。

被災者支援活動を始めて3年経過し、そろそろ自分は被災地に必要じゃないのではと思い始めました。この時点で30代前半だった私ですが、もし、20代だったら災害支援の専門家になろうと思ったかもしれません。これからの時代には絶対必要な仕事でもあるし、その道のプロとして生活している人たちもいました。

色々考えた結果、この3年間の経験はライフワークで活かそうという答えに辿り着きました。どう考えても災害は減ることはない、「自分たちと同じ思いはさせたくない」という被災者の声も東日本大震災関係なく耳にします。だから、同じようなことが繰り返されない文化を創りたいと思うようになりました。

求められる関係の中で成立するもの

災害支援活動後、どこに住もうかって考えた時に、パートナーが富山出身であったことや私自身山形での時間を通じて雪国に住みたい気持ちがあったこともあり、富山県内に住むことにしました。そして、自ら選んで、地理的な条件から氷見市に住むことにしました。

今住んでいる久目地区の人から空き家を譲ってもらったり、以前からやりたいと思っていた季節に応じた里山暮らしの体験プログラムを主宰したりして、少しずつ関係性やできることも広げてきました。

ある時、同じ地区に住んでいるジーノさんから「何でも屋をやったら絶対需要あるよね」と話がありました。話を聞いていると、例えば、地区のばあちゃんが重いものを持てない・布団を干せない・蜂の巣の駆除ができない等、地区の人が困っていて、その困り事を解決できる人がいない状況だったんです。

そこから草刈り、木の伐採、蜂の巣駆除、社会福祉協議会の事務員等、できることを仕事として受けてきました。私は定職に就いていないし、会社勤めしている人よりも時間がある状況で、その上、山形の農家での経験や非電化工房の住み込み、災害活動支援をやっていたため、私は何かの道のプロではないけど、人より少しは多くのことをこなすスキルが身についていたんです。

私は計画的に何かをするのが苦手です。自分の思いと置かれている状況がマッチしたら、それに合う選択を今までずっとしてきているかと思います。その時のタイミングもあるし、半分運試ししながらやっている部分もあります。

正直、あまりにも上手くいきすぎているので、今後何か大きな悪いことが起きるのではないかと心配している部分もあるんですがね。
ただ、先が見えて予測が立ってしまうと、「自分がやらなくてもいいのでは」と思ってしまうんです。

闇雲というわけではないですが、計画的でもない、色々な切り口や選択肢が溢れる社会がいい、そう思います。周りを見渡して、他の人がやりそうにない隙間で動いてきたからこそ、「凄いな」と思える人たちと出会い、その環境に身を置けたのかもしれません。

ある種の勇気、先が見えない状況に対して立ち向かっていく思いがあるかどうかが大事だと思ってて…その先には、自分の思い込みだけの世界ではない、思い込みの外の世界にいるからこそ辿り着ける答えが待っているかと思います。

そして、答えに辿り着こうが着かまいが、必ず周りには人がいます。結局、人のレベルでいえば、どれだけお互いに頼り合える存在がいるか、それが自立というものに結びついてくるんです。

他の人の助けを求めず、自分一人の力だけで何かを成すことが自立ではなく、助けてほしい時に助けを求められる関係が成り立っている状態が自立していると私は考えています。それは地域も一緒です。お互いに余裕がないとできないことだけど、その余裕をいかに確保していくことが今の自分のテーマです。

(終わり)

前編はこちら

話し手:サントス佐藤文敬(イチ・ニ・サントス
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:HOUSEHOLD
インタビュー日:令和2年8月24日
編集後記
僕は人の言葉をそのまま飲み込むタイプの人間でした。
「これがいいよ」「こうしたらどう?」って言われると、それをそのまま受け止めて自分に取り込んでいっていたかと思います。誰かの言葉を受け止めて取り込むこと自体は悪いことじゃないけれど、僕は将来のことや自分の行動について、ほとんど誰かの言葉が反映されてて、自分の意思がありませんでした。「両親や周りの言うことを素直に聞いて、その道を突き進めば間違いない」
そう思っていた僕は思考が停止していたのかもしれません。無難な道を進んでいく中で、その無難な道から出て、その外の世界を見ようともしていませんでした。

27歳の時に大きな失敗をして、そこから自分を変えようと思った時に、自分が進んできた以外の道を見てきていなかったことに気づいたんです。その時思いました。
「あー、多分僕は今まで見ていなかった世界を見ないと・感じないと変われないんだろうな」って。

最初はとても勇気がいりました。27歳にもなって、今までの世界から離れることや、違う世界の人たちと接することが怖かったんだと思います。でも、「少しでも離れた世界に踏み入れてよかった」って今では思っています。だからこそ、サントスさんや今取材させていただいている方々や、鹿児島の素敵な人たち、地元の人たちに出会えることができたのですから。

サントスが最後におっしゃっていた「他の人の助けを求めず、自分一人の力だけで何かを成すことが自立ではなく、助けてほしい時に助けを求められる関係が成り立っている状態が自立している」という言葉はとても胸に突き刺さりました。以前の僕だったら、一人の力で何かを成すことが自立って思っていたかと思います。
人との関わりが色々気づき、考え、行動に移す。必ず何かの根源には誰かの存在、言葉、思い、背景等がある。そこを改めて認識できた時間でした。

サントスさん、インタビュー場所を提供してくださったHOUSEHOLDさん、ありがとうございました。

編集長 上泰寿

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。