岐阜県郡上市にある郡上八幡にて『チームまちや』『NPO法人郡上八幡水の学校』に所属しつつ、『COTONARI』として個人の屋号で活動をされている猪股誠野さん。そんな猪股さんから、幼少期から大学時代、そして今を通して大事にしていること、その中を通しての気付きや葛藤等についてお話していただきました。

なりふり構わず頑張ってた10 代

私は宮城県宮城郡利府町のニュータウンで育ちました。小学校から高校までは勉強と部活にひたすら励む日々でしたね。みんなと同じレールの上を周りの人よりも早く歩きたい一心だったのかもなと、今振り返るとそう感じます。

小学3年の時、3つ上の兄が塾に通うことになり、その流れで自分も通うことになりました。当時、同学年で塾に通っていたのは私だけだったので、先生と一対一の授業でした。その甲斐あって、勉強半分雑談半分みたいな感じで。

「勉強しなきゃ」なんて微塵も思うことなく、とにかく色々なことを教えてくれる先生が大好きで、毎回楽しく通ってました。その影響もあって、高校ぐらいまでは教員になりたいと思ってたんです。「自分も先生みたいな人になりたい!」、そんな単純な理由でした。

残念ながら、大好きだった先生はたしか半年くらいで異動してしまったのですが、その先生と過ごした半年間のおかげで、勉強も好きになり、はじめての夢もできて。あの半年がなかったら今の自分はないでしょうね。

勉強以外に一生懸命になれたことがもうひとつ。小学6年から始めたバスケです。同学年の仲間たちは低学年から始めていたこともありみんな試合に出てましたが、私は初心者だったので、結果ほとんど本戦には出れず、低学年向けの試合に一緒に出るので精一杯でした。

それがとにかく悔しかった。そんな苦い経験もあったので、中学に入学にしてからはもう死に物狂いで練習しましたね。小学校のバスケチームの仲間のほとんどが別の中学に入学していたのですが、自分たちの代になって、大会でその中学に勝てたときは嬉しかったですね。頑張ってよかったな、って心から思えました。努力していればいいことがある、って思えるようになったのはその頃からかもしれません。

あ、それともうひとつ、自分にとって忘れられない出来事がありました。中学3年の時、それまで何回か指導にきてくれていた女性の先輩が教育実習でバスケ部をみてくれることになって。しかも最後の総体の時期に。「こんな奇跡あるか!?」って、本当に嬉しくて舞い上がってました。

ですが、ある日の練習のとき。当時、練習を途中で抜け出してしまう部員がいて、その日も彼は抜け出してしまったのですが、何度か起きていたことなので、追いかけませんでした。そんなことよりせっかく先輩がいてくれるし、大会も近いし、練習が最優先。正直、そんな風に思っていました。

そのときでした。「どうしてみんな追わないの?そんなチームが試合に勝てるわけないでしょ!」といつも優しい先輩に、それまで見たことのなかった真剣な眼差しで怒られました。そう一言だけ言った後、先輩は彼を走って追いかけて、連れて帰ってきたんですよね。

あのときは、心底反省しました。自分のことしか考えてなかったんだって。あのとき、本気で自分たちに向き合ってくれて、そして叱ってくれた先輩には感謝していますし、今でもたまに近況報告する恩人です。

高校でもバスケを続けました。周りに上手な選手が多く、なかなか試合で使ってもらえませんでしたが、中途半端な気持ちでやるのだけは嫌だったので、スタメンになるために朝から夜までずっとバスケだけしてましたね。中途半端にやってる周りの同期にキレたりもしてたので、まぁ面倒臭いやつだったと思います。

中学のときも高校のときもそうでしたが、そんな自分でも一緒に頑張ってくれる仲間がいてくれたことはありがたかったですね。彼らとは今でもよく連絡取りますし、一生モンの友達です。

改めて振り返ると、自分と真剣に向き合ってくれる大人、そして仲間がたまたまいてくれたので、なりふり構わず頑張れたんだと思います。運、と一言で表せるのかわかりませんが、とにかくめぐり合わせに感謝しなきゃいけないですね。

目からウロコのAKB48総選挙と景観という道

高校卒業後は東京の大学へ進学しました。その大学で明確にこれがしたい、という思いがあったわけではなく、第1希望の大学が不合格だったこと、その大学もそれなりに偏差値が高いところだったので「まぁ、ここなら両親やまわりへの面目も立つだろう」と、なんとも不純な理由で決めたというのが正直なところです。

学科の選択も意識していなかったため、入学した後で「土木」について学ぶ学科であることが発覚しました。ほぼ物理か数学の授業で、実験はコンクリートや土、水を扱うものばかり。授業にはなんとかついていけてましたが、このザ・土木をずっとやり続けるのは性に合わないなぁと感じてましたね。

そんなある日、たしか2年生のときだったと思います。まちづくりやインフラのデザインを専門とする「景観」という分野があるのですが、その先生の講義を受けていた時のことです。講義の冒頭に、先生がこんな話を始めたんです。

「皆さん、AKB48って知ってますよね?昨日ぐらいに総選挙が行われていて日本中が注目していましたが、視点を変えてみると、そもそもなぜあのような選挙が成り立つと思いますか?」最初はいったい何を問われているのかもわからなかったですが、妙に気になり、いつにも増して耳を傾けていました。

「私の研究室には毎年ニューヨークの学生がワークショップに来ていて、ちょうど先日みんなでまちあるきをしたんです。ニューヨークからやってきた学生さんたちには白人もいれば黒人もアジア系の人もいるし、太っているひとも痩せているひともいる。文化も全く違う訳です。たとえば、この学生たちに順位をつけようとなった時に、多分順位はつけられないと思うんですよね。じゃ、どうしてAKB48の総選挙が成り立つのか。それは本質的な差が小さいからだと感じたんですよね。差をつけたことによって誰かが嫌な思いをするとか、人種的なステイトメントにならない。差がないからこそ差がつけられる。だからあの選挙が成り立つと思うんですよ」。

まさに目からウロコでした。いままで特に意識することなく見ていた物事が、視点を変えるとまったく違う解釈ができ、学びになる。自分にとっては結構おおきな衝撃でしたし、今でも物事を捉えるときに自分がどういう視点から見ているのかは常に意識するようにしています。

そんな印象深いできこともありましたし、景観の授業自体も面白く、ザ・土木から逃れたかったこともあり、その先生の研究室に入ることを決めました。この選択が私にとって大きな分岐点となりました。

研究室に配属されてすぐに卒論のテーマを決めることに。私は古い町並みが好きだったので、いわゆる伝統的な町並みの表面をどう保全しながら整えていくか、またそれを支える法制度のあり方は何かを扱うことにしました。初夏の頃、ゼミでその内容を発表していると、先生に「郡上八幡に行ってみる?」と提案されました。

郡上八幡は先生が20年近く携わっているフィールドであり、歴代の先輩方が関わってきた大切なまちでしたが、当時の私は岐阜県にすら行ったことがなく、郡上八幡がどこにあるのかも知らないまま、初訪問することに。それが、私が今住んでいる郡上八幡と関わることになった最初のきっかけです。今から7年前になります。

<後編へ>

語り手:猪股誠野(チームまちや/NPO法人郡上八幡水の学校/COTONARI
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:チームまちや
インタビュー日:令和2年7月30日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。