佐賀県佐賀市で産前産後ケアやシングルファミリー支援等を行なっている『NPO法人poco a bocco(ポコアボッコ)』代表の寺野幸子さん。そんな寺野さんから、幼少期から遡り、今に至るまでに背景や葛藤等を伺いました。

タスクを必死にこなす

私は佐賀市内で生まれ、4人兄弟の長女として育ってきました。上に兄、下に妹・弟がいます。性格としては男っ気が強い方でした。小学校低学年までは髪型も服装も男っぽかったと思います。

その背景の一つとして漫画でした。兄がいたので、小さい頃は、基本少年誌に掲載されている漫画ばかり読んでいました。特に『特攻(ぶっこみ)の拓』という漫画が好きでした。

その中で好きだったのが主人公の拓。彼は元々いじめられっ子でした。でも、転校先の学校で暴走族に入り、そこから相手に立ち向かう勇気を持つようになるんです。そんな拓から学んだことがあります。

それは、迷った時は勇気がいる方を選ぶ、ことです。逃げ出したくなった時こそ、一歩前に踏み出せと、拓の行動からメッセージが出ている気がしました。この漫画もですが、その他にも色々な漫画を読んで、今の私ができています。

振り返れば、結構タスクをこなしていた子供時代でした。やりたいと思うことがあれば、何でも自分で決めて行動していました。

例えば「筆記試験があるから今日はこれだけ暗記して寝よう」だったり、「リコーダーのテストがあるから今日は2時間練習しよう」だったり。一つ一つのことに対して、真っ直ぐ一生懸命取り組んでいました。それは今でも変わりません。


(寺野幸子さん)

その中で一番辛かったのは高校時代でした。高校は進学校だったので、朝の講義やたくさんの宿題…。夏休みも補講に追われる日々でした。とにかく勉強ばかり。

1日でも学校を休むと授業についていけなくなって焦りました。夜寝ていると、自分が数日学校を休んで授業についていけなくなる夢を見たこともあって…。それは今でも偶に見る夢です。だから、高校時代は一番ストレスを抱えていました。

勉強というタスクに追われる時代を経験したからこそ、自分の子供には勉強ばかりしないで、漫画を読んだり、ライブに行ったり等、好きなことをしようよって、辛そうにしていたらそう声をかけてあげたいです。やりたいことを一生懸命やってほしい…。

大学は佐賀にある大学に進学しました。大学に入ってからは学費を稼ぐためにバイトをする日々。バイトで疲れていたこともあり、講義に行けないことも多くて…。

実は、私…獣医になりたかったんです。これも漫画の影響でした。それなりに勉強も努力したこともあり獣医学部に挑戦できる成績だったので、両親に自分の気持ちを伝えたんです。

でも、家庭の事情で進学を断念せざるを得ない状況でした。講義に行けなかったのは、獣医学部がある大学に進学できなかった気持ちもあったのかもしれません。


(オンラインでママさんたち向けに講座、講師の助産師さんたち)

経験を積まないとわからないこと

大学3年生の時のことです。父から地元の佐賀市役所(以下:市役所)試験を受けるように勧められました。家庭の事情で獣医学部に進学させることができなかった分、父としては市役所で仕事をしてほしい思いがあったみたいです。

就活はまだ1年先のことだったので、練習のつもりで受けてみました。私は教育学部だったので3年生の時に教育実習に行き、4年生になったら教員採用試験を受ける予定だったんです。しかし、予想に反して、まさかの合格。色々迷った結果、大学を中退して、市役所に入ることにしました。

社会人になってからすぐに「市役所を2年ぐらい勤めたら辞める」って決めていました。しかも、それを机の上のカレンダーに「あと○ヶ月」って書いていたんです。そのことを知っていたのは隣の席の先輩だけでした。

今思えば、普通そんなことしないですよね。そんなものを見たら気持ちよくない人が多いと思います。でも、当時はそんなことすらわからないぐらい未熟者でした。

20代の私に会えるなら「自分を大切にしてくれる人たちを、もっと大切にしなさい!」と言いたいですね。そういったことも社会人で経験積んで学んできたからこそ、わかってきたことだと思います。

市役所に入って数年経ち、ある話が舞い込むことになります。それは、厚生労働省への派遣でした。東京で、そして国で働くことなんて中々ない機会です。私でも行ける可能性があるなら…。そんな選択肢が準備されているなら…。絶対に行きたい。そんな思いから手を挙げることにしました。

厚生労働省では雇用均等・児童家庭局(※)に所属することになります。そこは児童福祉、子育て支援、保育行政等を所管する部署です。私はその中でひとり親家庭に給付金を出す事業の担当をしていました。

それまでは福祉経験は無くて、国という立場だったこともあり、わからないことだらけでした。そんな状況だったからこそ、自分なりに調べたり、同じ職場の人たちに質問したりして、勉強していったんです。それを元に、県や市町村から問い合わせがきた案件に対応していきました。

そうしてくるうちに、どのような流れで法律ができてきたのか、どこに着目して法律を解釈していけばいいのかわかってくるんです。その感覚が楽しくてたまりませんでした。

国の仕事って仕事の量も多かったり、責任も市で担当していた仕事より大きかったりするので大変だと言われています。

でも、色々実践を通して経験してきたからこそ、今まで知らなかったことがわかってきたり、大きな仕事を任せてもらえるようになったりしたことで、とてもやりがいを感じていました。

しかし、任期は1年…。色々できるようになり、これからって思った時に市役所へ戻ることになります。
「もっとここで働きたい!違う仕事もやってみたい!」
任期が終わる頃には、そんな気持ちで一杯でした。

市役所へ戻ってから退職するまでは児童福祉関連の部署で従事することになります。

※雇用均等・児童家庭局は組織再編のため2017年7月に廃止されています。

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話し手:寺野幸子(NPO法人poco a bocco
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年5月8日
インタビュー場所:NPO法人poco a bocco
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。