自分にとっての答え

四国若者会議の代表になってまず痛感したことは、自分にはマネジメントする力がないということでした。代表が自分に代わった後、運営メンバーからの不満が一気に増えたんです。「瑞田さんの下では動きたくないです」と言われたこともありました。

若者会議を開催する上で「どういうものを作っていきたいか?」を考えるときに、僕は基本「みんながつくりたいものをつくる」というスタンスだったんです。メンバーから色々聞かれても「やりたいことをやっていいよ」「それはどっちでもいいよ」と伝えていました。

結果、誰も方向性を定められず、チームとして考え方がグチャグチャな状況でした。僕は、それまでの人生で、ずっと最大公約数をとるような動き方をしていたんです。

グループディスカッションなら、全員の意見を聞いて、それを踏まえて後から最適解を出して、全体を取りまとめるタイプでした。それを無意識的に30年弱続けてきて、それですべて答えが出せると思っていました。だから、四国若者会議の代表になっても、みんなの意見の最大公約数を探す、今までのやり方で事を進めていたんです。

あるとき、意見の乖離がいよいよ大きくなり、最大公約数をとろうとすると中途半端で誰も喜ばない、乖離の大きい意見の中からひとつを選ばないといけない状況に、生まれて初めて直面しました。

今までは、そういう責任のある決定は上司がしてくれていたし、思えば自分が決めるという経験をしたことがありませんでした。尊敬する人にも相談しましたが、「両方の最適をとるのはもう無理。どちらかを取るしかない状況なの、わかってる?」と厳しい言葉を受けてしまい、その場で泣き崩れてしまいました。

どちらかを選ぶことで、選ばない方の期待に背くことが怖くなり、選ぶことから逃げたくて、携帯もSNSもシャットダウン…。誰とも連絡が取れない状況を作り、1週間くらい家に籠ってしまいました。部屋に籠り、現実から目をそらす中で1つのことに気づきます。

「現実逃避しても、何も状況は良くならないし、誰も解決してくれない。最終決定するのは代表の自分しかいないんだよな…」

最大公約数をとる生き方は、今までの自分にとって生きやすいものでした。「これをやりたい」と自分から言い出すと、周りから評価されないリスクがあります。

自分は、先に皆の様子を見て、後出しで人から嫌われないための選択をしていたんです。人間関係に悩み、人に嫌われたくないという想いが強かった自分が、無意識にやってきたことでした。

最大公約数をとれなかったこの経験が、自分の考え方を本当に180度変えたと思います。そこから、リーダーは、皆が行くべき方向を決めて、その方向が明るいことを示す人、進む方向に希望を灯す人だと考えるようになりました。

今まで僕は「皆は何をしたいか?」と問いかけをしていましたが、順番が間違っていたんです。皆にとっての最適解を最初に探すのではなく、自分にとっての道をまず考え、その道とみんなの想いを掛け合わせるという順番で考えるようになりました。

まずは周りではなく「自分がやりたいことは何か?」ということに目を向ける。今までは周りに合わせるばかりだったのが、自分の考えがなければ行動できないと思うぐらいに大きく変わりましたね。

若者会議の目的の一つは、地域活性化・地方創生でした。確かに、それは大切なことです。しかし、それは一つの手段に過ぎません。それよりも重要なのは、一人の人間がどのように豊かで自律的な人生を歩むことができて、自分にとって「幸せだ」と思える人生を歩んでいるかだと思うんです。

「たまたま、ある一人にとっては地方で生きることが幸せなのかもしれない。地方に来ることが幸せな人が地方を選択できることが幸せなんだ。だから、地域活性化や地方創生のために移住者を増やせば良いという簡単な話ではない。地域活性化よりも個人の人生が重い。一人の個人がもっと生きやすくなるための方向転換やきっかけの場を作ること、その人にとって自分らしい人生を歩める変化を生むことが、自分のやりたいこと」

その個人の良い変化のために自分が生まれた地方という文脈を活かしているんだと、今の自分の優先順位を言語化することができたんです。

その翌年の若者会議を運営するチーム作りをするにあたって、
「僕はこのような世界観でやりたい。それを一緒にやりたいと思う人は一緒にやろう。」

と伝えました。周りがどうしたいかではなく、自分がどうしたいのか、意思表示ができたのは仕事では初めてだったと思います。

一つの考えの軸ができてから、少しずつ自分の提供価値が明確になり、行政や民間企業から、「瑞田さんに企画を手伝ってほしい」と声をかけていただく機会が出てきました。

そんなときに大事にしているのは「自分がやりたいかどうか?」「人に良い変化を生む仕事になっているか?」です。また、誰でもやれることではなく、その仕事の中に僕がやる存在意義があるかも大切にしています。「何でやりたいのか?」を問いながら企画を作るようになったのは大きな変化です。

動機とつながり

僕は、人は人生での幸せを最大化するために生きていると思っています。まず、自分の今の行動は幸せにつながっているのかは大事だと思います。また、たとえ今この瞬間が苦しかったとしても、次の瞬間により大きい幸せが訪れるなら、その苦しみは享受できます。

死ぬまでの人生トータルで見たときの幸せの総量が最大になるために時間を使えたら良いと思っています。さらに、自分にとっての幸せとは何か。それを分解すると、大切な要素が二つ見えてきます。

一つは“動機”です。動機をもっていることに取り組めているかが、自分の幸せに大きく影響してきます。今この瞬間は仕事かもしれないし、別の瞬間では趣味や友人、家族だったりするかもしれません。

小さなことだっていいんです。時々で変化したりアップデートしながら、日常の中に動機をもって動けているかが自分には重要です。

もう一つは、自分の周りに豊かな“つながり”が生まれているか・育まれているかということです。それは、小学校の頃からずっと人間関係のことで悩み続けてきたことが背景にあると思います。

友人や家族のようなリスペクトしている人たちと豊かな関係性を築けて、その中に自分がいること。それらが自分の幸せに強く結びついているんです。“動機”と“つながり”が、自分の幸せに強く影響を与えていると思います。

もちろん、動機やつながりがなくても幸せな人もいるので、あくまで僕にとっての幸せの構成要素としてこの2つが大きいということですね。僕にとって幸せを最大化するには、この2つを豊かにしたいと考えています。

将来的に、お寺に教育の機能、人が学んで育つ機能を持たせたいと考えています。ハレとケで考えたとき、お寺は今まで人の死というハレ(非日常)における役割を担っていました。ケの領域でお寺が持つべき役割は何か。僕は人が育つ機能をお寺が持つと良いと考えています。

幸せについて、より多くの人に当てはまる形を考えると、「自分がこうしたい」「自分はこの道が幸せだ」と、自分の道や自分の幸せを自分で“決められること”が幸せなんじゃないかと思っています。

また周りを見ると、“決めること”が苦手だという人も多いように感じています。さらにその背景を考えると、失敗する経験が乏しいことが影響しているんじゃないかと。

失敗が許容されづらい世の中になるほど、挑戦して失敗するという経験を積むことができず、リスクを怖がり、自分で決めることを避ける人が増えるんじゃないかと思うんです。

だったら、失敗する場が必要ではないか。お寺のような、家庭でも職場でも学校でもないサードプレイスで、挑戦して失敗ができる場を提供できることに意味があるのではないか。そう考えているんです。

失敗のダメージやリスクが小さく、挑戦もしやすいはずなので。お寺の教育の場の中で、恥ずかしいかもしれないけど失敗を経験できるプログラムにしておきます。

1度失敗すれば、次に同じようなことがあった際にダメージやリスクを直感でき、物事を決めやすくなる。そして、物事を自分で決める、幸せだと思える道を自分で決められるようになる。失敗を経験しながら人が学んで育っていく場をお寺につくることで、新しい可能性を生めると感じています。

人の変化を促したいということ自体が自分の動機ですし、その場を作ることでつながりも生まれてくる。グルグルと全部がつながって、自分の幸せも、関わる人の幸せにもつながる。

お寺を人が学んで育つ場にしていくことは、自分の生まれ育った守るべき場所で、自分の幸せと人の幸せの両方に寄与できる道だと思っています。

「将来の夢は何ですか?」とよく聞かれるのですが、僕はこう答えています。
「動機やつながりが生まれることに、常に挑戦し続けられる状態でいることです」と。

常に自分の行動や価値観をアップデートし続けられる状態でいること、もっとおもしろいことが見つかったときに常にそちらに舵を切れること。ゴールを設定しているというより、そういう“状態でいること”だと考えています。

今はローカルやキャリアという切り口で事業に携わることが多いですが、将来はわからないので、今後もっと挑戦したいことが見えたときには挑戦できる自分でいたい。

そして、死ぬまでずっと自分の夢をアップデートし続けながら、その時々で自分の価値が発揮できる様々な形で物事に関わっていくことで、人の幸せにも寄与していきたい。そう思います。

(終わり)

前編 中編 はこちら)

話し手:瑞田信仁(稱讃寺 副住職 17代目/一般社団法人四国若者会議・代表理事)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年3月16日
インタビュー場所:稱讃寺

●編集後記
瑞田くんは僕にとって四国出身の初めての友達です。5年前、仕事の関係で東京へ出向していたときのこと。鹿児島の友人が連れていってくれたイベントがきっかけでした。そのとき、瑞田くんはイベントのゲスト側で四国のことを色々紹介していました。当時、僕は東京にすら友人があまりいなくて、声をかけるのも迷ったんですが、瑞田くんはとても声をかけやすそうな雰囲気だったので声をかけてみました。話をいているうちに同じ年であったこと、音楽が好きなことで盛り上がり、その場で連絡先を交換したのを覚えています。その1年後、初めて四国(香川)に行き、彼と再会しました。四国に行ったのは純粋に彼に会いたかったから。それがきっかけで香川の素敵な人たちとも知り合うことができました。今回インタビューの中で何回も出てくる“動機”と“つながり”という言葉を聞く度に、そのときのことを思い出しました。そして思ったんです。
「今の僕が心から幸せだと思えるきっかけを作った一人が瑞田くんだったんだな」って。
僕は今幸せです。それは、やりたいことや好きなことをやっているからではなく、自分で考え、そのときの僕にとっての最適解だと思ったことに従って動いているからだと思っています。インタビューの最後に出てくる失敗する経験の話。幸せとは言ったけど、今でも僕は失敗が多いです。凹むときだってあります。でも、その失敗があるから、今までできなかったことができるようになったり、経験したことがないことに挑戦したくなるんです。おそらく、昔の僕だったら、失敗することも新しいことに挑戦することも望んでいなかったと思います。
ちょうど取材した2年前でした。高松でお酒飲みながら瑞田くんの仕事を辞めることと取材をさせてほしいと申し出したのは。2年って長いようであっという間でした。本当、瑞田くんとは人生の節目節目で会っている気がします。
瑞田くん、今回はありがとうございました。

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。