ピーナッツカレーの誕生に至るまで
最初の1年半は落花生畑の手伝いが中心で、作業を通じて島のことを学ぶ期間になりましたが、3年間の任期を終えたら料理の現場に戻ろうと決めていたため、ずっと島に住み続ける選択肢はありませんでした。
しかし、島の農家さんたちと一緒に作業をし、商品開発を研究する中で、「この小さな島で生まれる商品の意味は何なんだろう。ただ売れるだけを目的とした商品作りに意味はあるのか?」と疑問が生まれてきました。
「商品とは小値賀島という小さな島を知ってもらうきっかけ作りのひとつにすぎない。商品を手にしてくれた方々に、どのようにしたら実際小値賀島へ足を運んでもらえるのか、について考える必要があるのでは?」と思うようになりました。
そんなことを考えながらも、商品開発の経験と知識のなかった私はどうすれば良い商品が出来るかわからず、2年間は何も成せずに時間だけが過ぎていきました。
商品を開発するまでの過程で、商品開発のターゲット、その基準や背景、売り上げ見込みなど、データやロジックを使った説明をしないといけないことなど、私が苦手としている作業ばかりで上手くいかず…
島特産の落花生と大好きなスパイスを掛け合わせて商品化できないか提案しましたが、スムーズに開発することは出来ませんでした。
そんな中ある日、福江島にあるネドコロノラという宿に友人が連れて行ってくれました。宿に入ると、アナンの商品が置いてあったのです。そこで、アナンの3代目であるメタ・バラッツさん(以下:バラッツさん)がスパイス屋としてだけではなく、各地回って料理教室していることを知りました。
その流れで、広島の尾道自由大学でバラッツさんのスパイス講座があることを知り、すぐ受講申し込みをしました。10年以上憧れていた会社の社長に会えることもあり、とても緊張したことを覚えています。
講座終了後、私がスパイスを好きになったきっかけや、実は一度就職したいとアナン株式会社へ電話をしたこと、今は小値賀島で落花生とスパイスを使った商品を開発したいと思っている旨を伝えました。
その日を境に、やっぱりスパイスが大好きなことを再確認し、どうにか協力してもらえないかと考え、次は鎌倉へ通うようになりました。バラッツさんは快く商品開発に協力してくれ、鎌倉で出会った仲間の応援もあり約半年後に商品が完成しました。
その半年で色々で出来事がありました。いくつかの新聞社でピーナッツカレーについて紹介してもらったり、鎌倉でイベントを開催したりしました。そうすることで、小値賀島だけではなく、島外の人に対して周知ができたこと、外からの視点で色々と感想や助言をもらえたこと、2つの効果が得られました。
島内でも背中を押してくれる人たちがいたことも心強かったです。バラッツさんたちの協力があったとはいえ、途中悩んだり挫けてしまいそうなときがありました。島の人たちは、ただ単に応援してくれるだけではなく、身近な存在だからこそ私に対して愛のある意見をしてくれることで、気づきを与えてくれました。
小値賀島に来て最初の2年は商品ができず無力感を感じる日々でしたが、その2年間は決して無駄ではなかった、むしろその時間がなかったらピーナッツカレーは完成しなかったと思います。ピーナッツカレーは、私一人だけではなく、皆で作り、育ててきた商品だと胸を張って言いたいです。
ピーナッツカレーと共に日本各地、そして新天地・ベルリンへ
地域おこし協力隊任期後の現在は、全国各地を回りながら各地の特産品をベースにした小値賀島のピーナッツカレーを作って出店し、小値賀島のことを知ってもらう機会を作り続けています。(※)
そのような機会を作っている理由として、買い手と作り手がコミュニケーションをとることで、小値賀島を身近に感じて一度足を運んでほしいからです。“島を知ってもらう”だけではない、その先にある“島に足を運んでもらう”…それがピーナッツカレーと私の役割だと思っています。
また、もっとスパイスやハーブの知識を深めていきたいと思っていて、来年の夏頃からドイツのベルリンに拠点を移す予定です(コロナの影響で検討中)。
クッキー作りに夢中になっていた小学校の時から私の側には常にスパイスがあったこと、それはこれからも変わりません。スパイスは料理の味わいを加えてくれるだけではなく、私にとっては仕事や生き方の味わいも濃くしてくれました。そして、スパイスを通じて出会った地域や食材きっかけで異なる文化や歴史、背景を知ることもでき、私にとっての居場所や大切な友人ができました。
スパイスを通じて得てきた、そして小さな島で学んだ大切なヒト・コト・モノを小値賀島ピーナッツカレーに乗せて、世界中で小値賀島のことを伝えていけるようになりたいです。
※現在は、愛媛を拠点に小値賀島ピーナッツカレーとスパイスの活動をしています。
(終わり)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:暮らしを育む家・弥三(やさ)
撮影協力:長谷川雄生・沙織(暮らしを育む家・弥三)
インタビュー日:令和2年3月8日