京都府京田辺市にて就労継続支援B型事業所『三休-THANK YOU!!!-』(以下:三休)施設長の世古口敦嗣さん。そんな世古口さんから障害福祉の道を歩むことになった背景や三休の立ち上げに至った経緯や思いについて伺いました。

特別なことではなく、自然なこと

僕の実家は徒歩10秒くらいで海に行ける港町、三重県伊勢市の二見浦という所です。学年の人数は少なく僕の学年は20名、僕が小学校6年生の時の入学生はたった3名しかいない状態でした。そのため、学年を超えて、学校のみんなで遊んでいた記憶があります。鬼ごっこだったり缶蹴りだったり、時には海に釣りに行ったり。

当時、僕の住んでいた地域にはハンディキャップを抱えた人たちが住んでいました。そのうちの1組が近所に住んでいた家族です。両親、お兄さんが耳の聞こえない状態で、僕と同じ学校に通っていたそこの家の子がいたのですが、彼女は学校に馴染めませんでした。

僕は家が近所だったこともあり、彼女と仲良くしていました。福祉サービスが1つもない地域だったのですが、その家族は何ら不自由なく暮らしていたんです。地域の人たちの支え合いがあったからだと思います。

普段から困った時にお互いのことを手助けし合える地縁型の関係性がありました。その光景を見ながら育ったことは非常に大きかったですし、これが僕の福祉の原点です。

もう1組、僕にとって大きな存在だった人たちがいます。それは、特別支援学級『ひまわり』に通っていた知的障害のある双子でした。ある時、その双子がブランコでウンチをしたんです。それを見て、僕やまわりの友人たちは大笑いをしました。

当時、障害のある人を特別視していなかったこともあり、「この人たちはすごい!」と思ったし、尊敬の念を抱いていたんです。「この双子からお笑いを習いたいな」と思って『ひまわり』に顔を出し、彼らといつも遊んでいました。

その当時、“障害者”ではなく“1人の人”として捉えていた気がします。自然なことだったので、特別なことではなかったんです。ただ「その人が面白いから、一緒にいて楽しい」と思ったから仲良くしていました。

しかし、中学生になると障害に対する壁を感じるようになりました。1つのきっかけとして、学校の先生をしていた伯母とのやりとりがあります。ベストセラーの『五体不満足』を「めちゃくちゃいい本だよ。読みなさい」と勧められたんです。

僕は「障害を持っている人に対して優しくしないといけない」という叔母の圧力を察知し、逆に障害のある人に対して壁を感じてしまいました。

冴えない自分

高校時代、僕はあまり友人がいませんでした。中学校では同級生が50人でしたが高校では200人と増えたので、積極的に声をかけることができなかったんです。「この人、友達になってくれるかな」と思ってしまうと自分から前に出れませんでした。実家でのしつけが厳しかったことがあり、人の顔色を伺ってしまっていたことも理由にあるのかもしれません。

僕は『BECK』という漫画がきっかけでUKロックにハマりました。それは、主人公のコユキが自分と似た境遇だと思ったからです。コユキも友人や彼女がいなく、冴えない人でした。しかし、そんなコユキがまわりの人たちに認められて、少しずつ成長していく姿に惹かれたんです。

僕はコユキと自分を重ね合わせてギターを始めました。好きな曲をコピーできた喜びは今でも忘れられません。音楽はいま続けていますし、音楽×障害福祉のプロジェクトをすることにもなりました。

大学では中国語を専攻しました。冴えなかった高校時代に対する後悔もあり「自分を変えたい」という単純な理由で大学進学を選択しました。中国語に関しては、外国語の先生をしていた祖父のすすめで、こちらも単純な理由です。軽音部に入り、4年間、音楽漬けの日々でした。

そうこうしているうちに就職活動の時期になってきました。正直、やりたいことや夢なんてありませんでした。ただ、音楽漬けの日々を送っている中で、音楽にはメッセージを伝えるところがあり、そこから「“伝える”という意味合いでマスコミやジャーナリストがいいな」と思うようになったんです。自分の中で音楽に限界を感じてしまったことも一つの理由としてありますけどね。

しかし、就職活動は失敗に終わりました。
「就職活動の時期も終わりが近い、どうしよう…」「カフェで働いていたし、アートも好きだから、ギャラリーカフェで働けないかな」と思い、京都にあるギャラリーカフェの面接を受けることにしたんです。

面接に受かり「その道を歩んでいこう」と思った矢先、壁にぶつかることになります。それは、実家で会社を経営している父です。父は飲食業やサービス業に対して良い印象を持っていませんでした。

「そんなところで働くなら、実家の家業を継げ!」「違う分野で正職員として働いて軌道に乗ったら、自分が行きたい道に行けばいい」と強く言われたんです。この時は、父の反対がきっかけで障害福祉の道を歩むことになるとは想像もしていませんでした。

中編はこちら

話し手:世古口敦嗣(就労継続支援B型事業所 三休-THANK YOU!!!- 施設長)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年1月14日
インタビュー場所:就労継続支援B型事業所 三休-THANK YOU!!!-
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。