三重県鈴鹿市にある『和洋菓子キクノヤ』の4代目として、そして、アートディレクターとして日々奮闘する小林知史さん。幼少期から大学時代、会社員時代、現在までの経緯を辿りながら、小林さんの葛藤や思い、これからについて話を伺いました。

デザイナーの世界に向かって、信じた道を突き進む

私は物心ついた頃から絵を描くことが好きでした。あと、私が描いた絵を褒めてもらえる機会もたくさんありました。それが自分にとって糧となって、絵を描くことがより好きになり、楽しさや自信にも繋がったんだと思います。

あと、“学ぶ”ことも好きでした。小学校の漢字テストで赤点を取った人たちが課題を与えられた時に、私は赤点を取っていないのに「あの子たちだけ学んでずるい、私も学びたい」と思って、課題をその人たちと一緒に受けたことがあるくらい…。

それは、「いい子でいよう、褒められる子でいよう、良い点を取りたい」という思いもですが、何より負けず嫌いな性格が軸にありました。それは、絵を描くことに対しても同じだったんです。

中学校に入ってから、自分の目指す道筋が見えたきっかけがありました。それは、好きなグッズのブランドのWebサイトを見ていた時のことです。そこには『デザイナー募集』と記載されていて、「あ、デザイナーってなれるんだ、こういう風に募集してて、応募したらデザイナーになれるチャンスがあるんだ」と思いました。

それと同時に、美術大学を卒業した人を優遇する内容の記載もされていて、「美術の大学に行けばいいんだ」と思ったんです。そこからです、デザイナーを志す気持ちが生まれたのは…。

高校受験の時期になり、デザイナーになりたい気持ちがありつつ、それ1本で道を進むのを決めきれず、結局、普通科のある進学校に入学しました。入学してからは、良い点を取って良い順位をとることが軸にあったけど、デザイナーへの道を諦められない気持ちもあったんです。

色々悩んでいた時に、今後のことについて、美術の先生に相談をしました。その先生からは「美術の大学に行くような人は、授業中に絵を描いてしまうくらい絵が好きなんだよ」って言われました。私はその言葉を「勉強しないほうがいいよ」と言われたと勘違いしてしまい、それ以降、自分の持つ熱量を美術ばかりに向けるようになったんです。それまで、勉強や部活を一生懸命して、宿題も忘れず必ず提出していた自分が嘘みたいに…。

デッサン等を学べる美術の予備校にも高校2年生から通うようになりました。予備校では、ライバルと言える存在や、個性ある生き方をしている先生たちに出会えました。技術だけではなく、生き方を知ることもできた…レールではない、その先が見えたんです。そして、「美術大学に入ることは目標ではなく、あくまでも途中段階なんだな」という感覚が芽生えました。

高校3年生の受験期に入っても、私は高校の授業でノートをとらず絵を描いてばかりで、授業をサボって美術室に籠って絵を描くこともありました。その時期の私は「寝る間も惜しんで美術を学びたい、充てれる時間は全て捧ぎたい」と強く線を引いて、自分の信じた道を突き進んでいたんです。

それもあって、周りに流されることはありませんでした。環境にも恵まれ、クラスメイトが私に赤点を取らないようにテストのポイントを教えてくれたり、先生は私が単位を落とさないように声かけやアドバイスをしてくれたりして、周りが協力してくれました。

両親からの「勉強をしなさい、宿題をしなさい」という言葉は一切ありませんでした。それは、私の性格を理解してくれたことや、これまで宣言したことを結果で示してきたこともあり、私の選択した道を信じてくれていたからかもしれません。「やりたいことをやればいいんじゃないか」って言葉をかけてくれたんです。

結果、現役で希望する美術の大学に合格はしたのですが、私は周りが驚愕する選択をしてしまうことになります。

前例のない選択…価値があるものをアウトプットしていくために

大学の入学式当日、私は教授に対して「1年間、休学をしたい」と申し出をしました。その理由は、デッサンなどの実技試験を受けた時に満足がいかなかったこと、予備校で訓練をしてきた中で技術や自分のやりたいことの基盤が整っていないと感じていたからです。

もっともっと自分と向き合って基盤作りをしたいという願望がある中で、合格通知が届いたので、がっかりした気持ちや未来を閉ざされた感覚がありました。唯一の合格資格を蹴り、浪人をしたいと思ったのですが、両親や予備校の先生たちからは止められることになります。

「君が納得する力をつけたところで、来年その大学に合格できるとは限らない。それなら休学をしてみては」と予備校の先生から提案を受け、色々悩んだ結果、私が選んだのは“1年間休学する”ことでした。

休学の申し出をした時、教授からは「信じられない、前例がない」と言われました。「大学に入ったら絶対楽しいことが待っていて遊びたい欲望が出てしまうだろうし、新しい環境になると自分に集中ができなくなる。ちゃんと基盤を整えてから大学で学びたい」と教授に伝えたんです。何とか休学を認めてもらい、私は元々通っていた予備校で1年間過ごすことができました。

「見たり感じたもの、信じるものをどうアウトプットで表現するか、表現したものにどんな価値が詰まっているか」という表現の部分や、「自分は何がしたいんだろう、好きなものって何なんだろう、何でそれが好きなんだろう」という、自分自身と向き合える、苦しくも贅沢な、あっという間な時間を過ごしました。

1年後、大学に復学し、改めて大学生活がスタートしました。個性ある表現を極めてきた人、自分を持っていて魅力あふれる人、社会人経験がある人など、皆それぞれ技術も思想もあって、ライバルが今までの何倍も増えた感覚でした。自分にとってその環境は、力不足や刺激を感じ、もっともっと頑張りたいと思える最高の環境だったんです。

大学の課題は基本的に題材やテーマが自由で、紙媒体の作品を作ることが多かったです。今思うと、課題の題材は実家の『キクノヤ』を選んでばかりいました。中学校時代からデザイナーを意識し志してきていましたが、心の片隅では『キクノヤ』がずっと気になっていたんです。

大学受験の時も、実は製菓学校のパンフレットを見ていたくらい…大学を中退して製菓学校に行こうかと思う時期さえありました。それは年々、時代の流れに置いていかれる『キクノヤ』の業態は悪化する一方で「ケーキやお菓子が売れない、これから『キクノヤ』はどうなっていくんだろう」という祖父母や父の不安を聞いていたからかもしれません。

ただ、せっかく芸術大学まで行ったので、デザインの道を突き詰めてみたいという思いから、就職はこのままデザインの道を進もうと決心しました。

就職活動する中では、興味を持っていた広告の業種に焦点を合わせていました。広告は求められて制作するものだし、成果を生みつつ、自分の色を乗せられる余地もあって楽しい…そして、大学時代通して、価値があるものとして、モノやコトをアウトプットしていきたいという思いを実現できるフィールドだと思ったんです。

大学の課題で作った『キクノヤ』のポスターを実際にお店に貼ってもらった嬉しい経験も広告の興味をもったきっかけだと思っています。キャリアを若いうちから積みたい・チャレンジしたい気持ちや、一緒に働く人たちや環境を意識して就職活動をしたところ、名古屋のWeb制作会社に勤めることになりました。

「この人たちと働きたい」と思ったのが一番決め手です。Webは未経験…悩み苦しみながらですが、色々なことにチャレンジさせてもらう日々が始まりました。

(後編へ)

語り手:小林知史(和洋菓子キクノヤ 4代目/アートディレクター)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:和洋菓子キクノヤ
撮影協力:和洋菓子キクノヤ、小林恒一(和洋菓子キクノヤ 2代目)
インタビュー日:令和2年8月6日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。