飛んでる光、のように

長男を出産して10ヶ月経った2011年3月11日、東日本大震災が起きました。私は長男を連れて避難しようとしましたが、既に遅く、実家の周辺には波が迫ってきていたんです。

急いで実家の2階に避難…2階の窓から外を見ると、街の遠くでは火の海が広がっていて、近くの建物は波で囲まれていました。そんな中でも、私は冷静でした。不思議と睡眠も普通にとることができたんです。「あの火がきたら逃げる場所はない、それはそれで仕方がない」と死を覚悟していたからかもしれません。

翌日、酷い悪臭で目が覚めたのを今でも覚えています。今まで嗅いだことのないヘドロの臭いが充満している状態でした。自衛隊が救出に来てくれて、何とか親子共に死を免れることができました。

震災直後から、生活に不可欠なものが行き渡らない不自由さや足りない部分がたくさん見えてきました。災害時だからこそ、「ここが足りない」「何でこれが無いんだろう」「ああいうことがあればいいのに」と強く感じるようになったんです。

その中でも特に、当然のことながら食べ物の重要性でした。避難所があっても、食料は最初に大きい避難所へ届き、その後に小さい避難所へ届けられるのが実情だったんです。避難所を辿っていくと、最後には菓子パンしか残らない。食べ物があっても、菓子パンやコンビニの弁当ばかりだと、人は気持ちが穏やかじゃなくなるし、体調だって悪くなります。

震災後は、気仙沼市内の山側にあって津波の被害を免れた祖母宅に世話になっていたのですが、近くの山で山菜を採ることができたり、米や味噌が備蓄されていて食べ物に不自由をしませんでした。その生活を経験して、「食べ物が手に入りづらい時にこそ、ちゃんとした食べ物を提供できる場所があるといいのでは」と思ったんです。

そこで起業することを決心しました。名前は『VOAR LUZ(ボアラズ)』。ボルトガル語ですが、日本語で「飛んでる光」を意味します。なぜ「飛んでる光」かというと、震災後の気仙沼の夜は街の光もなく真っ暗でしたが、ある夜に流れ星がはっきりと見えたんです。そのときの光のように、色々なところを光で照らせたらなと思って。

実は、あまり公表はしていないのですが、もう一つの意味もあります。それは、私は子供の頃からUFOが好きで、「UFOのように色々なところに行けるように」という想いも込められています。ロゴマークは、ピカって光っているような形にし、当時は農業をやろうと思っていたので、光の中に人参とほうれん草を連想させる色合いで表現しました。

私の中で、会社や誰かに雇われる選択肢はありませんでした。自分で会社をやっていると子どもたちの面倒を看られるし、その頃は祖母が子どもたちを背中に背負いながらサポートしてくれたこともあって、何とかなると思ったんです。

震災から1年が経ち、次男を出産し、すぐに仕事を始めました。起業したといっても、出産間もない時期だったことや、全然知識や経験がなかったことを考えると、勇気があったなと思います。

我慢と意地

まず初めに、ジャムの販売から始めました。それから、ジャムの他にも、山に落ちている数珠玉という草の実を活用したアクセサリーを作り、主に東京のイベントで震災復興の一環として出店し、販売したりしました。多いときは、月に2〜3回、東京へいくこともありました。

6年くらい前に加工場ができてからは、現在のボアラズの事業として、移動販売や地元のスーパー等へのお弁当やお惣菜の配達のほか、高齢者配食サービス、買い物サポート、見守りを含めた生活支援サービス等を行っています。


(写真提供:VOAR LUZ(ボアラズ))

雇用については、祖母を含めた地元の高齢者や、地元の主婦の方などを中心に数名を。特に高齢者の方は、今まで日々の中で培ってきた知識や技術があり、非常に助けられています。

高齢者と若い主婦の組み合わせは上手いバランスがとれていて、相性がいいです。おそらく、高齢者の方からすると、若い主婦の方は孫のように思えて優しくしたくなるだろし、逆に若い主婦の方からすると、高齢者は自分の祖母のように感じて距離感が近く感じるのかもしれませんね。

私の中では、高齢者の雇用を増やして、地域ごとによって違う料理方法や味、メニュー等を抽出して、それらに基づいたモノを気仙沼だけではなく、色々な地域に届けることができたらと考えています。今需要がなくても、5~10年経ったら、これはグッと伸びてくるものもあるのではないかと、思考を巡らせているところです。

今こうやって事業を継続できているのは、ボアラズの拠点が祖母の土地であり、その祖母がサポートしてくれているからです。そんな状況だからこそ、「しっかり結果を出さないといけない」という意地が出てくるんです。綺麗事だけではやっていけない。

祖母は80歳を越えていますが、体力的にも落ちてくる中で嫌な顔もせず、率先してサポートしてくれています。むしろ、楽しそうな顔をしながら作業している姿を見ていると、「私が先に倒れる訳にはいかない」って思うんですよね。

事業を進めていく中で、「自分がやっていることは力試し、運試しだな」って最近つくづく思います。何をするにしても、タイミングと実力の両方が備わってなければいけないですし、いくら頑張っても全然うまく行かない時期だってある。

「もし、他の土地でやっていたら…」「もし、違う仕事をやっていたら…」と思う時期もあったけど、過去を悔やんでも何も変えられない。悔やむことではなく、どこまで我慢をして、それまでにどれだけの準備をしているのか、そして動き出すタイミングの見極めが必要だと思うんです。我慢をすることは確かに辛い。「まだか」って思って精神的に辛くなることだってあります…。

振り返れば、私が歩んできた道を一言で表現すると、“我慢”なんでしょうね。我慢をしてきて、耐え忍んで、それでも傷ついてしまうことの繰り返し。ただ、その繰り返しをしてきたからこそ、今は我慢や準備をすることの大切さや、動き出すタイミングの見極めができるようになったのだと思います。

見極めができるようになっても、私にはまだ思い描いたことのすべてを実現するための力が足りません。力がないからこそ、自分が思い描いたことについて、ある程度の年数が経過しても実現しきれていないんだと思います。

それでも、思い描いたひとつひとつが実現できる時期は、少しずつ近くなってきていると信じています。
ボアラズという社名に込めた光が見えるまでは、まだまだ我慢の日々ですね。


(写真提供:VOAR LUZ(ボアラズ))

(終わり)

前編はこちら

話し手:佐藤春佳(VOAR LUZ(ボアラズ)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:VOAR LUZ(ボアラズ)
撮影協力:VOAR LUZ(ボアラズ)
インタビュー日:令和2年10月23日
●編集後記
7年前の夏、気仙沼へ復興支援に行く機会がありました。その時、現地の受け入れ側として迎えてくれたのが佐藤さんでした。数日の滞在でありましたが、濃い時間を過ごせたこともあり、翌年同じ時期に佐藤さんを訪ねて気仙沼へ行きました。

当時、会社員や公務員以外の知人や友人がいなかった僕にとって、別の世界で、かつ、同世代で起業している人との初めての出会いだったから、異質な存在に見えたのを覚えています。
佐藤さんと会うたびに、どこか不思議な空気感を感じていたのは、そういう風に見ていたからかもしれません。

僕は今の道を歩み始めてから間もないし。佐藤さんから聞いた話は何となくわかりつつ、肌で感じたことはない。
何かと実現したり、形にする「手前」って非常に苦しいと思います。負の感情に支配されてしまって、精神が落ちるところまで落ちてしまうかもしれません。それが長ければ長いほど、辛い。。。

でも、その中で見つけ出す”光”って、自分の糧になると思います。簡単に見つけられないからこそ、手放したくないし、ずっと大事にできるはず。
僕はまだそれが何なのかわかっていないし、見つけられていないけれど、佐藤さんの取材を通して、改めて我慢強く、少しずつ前に進んで行こうと思いました。

佐藤さん、おばあちゃん、ボアラズの皆さん、ありがとうございました。

編集長 上泰寿

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。