福岡県内で管理栄養士としてお仕事をされている日吉花子さん。そんな日吉さんから幼少期から遡り、現在に到るまでの背景等を伺いました。

計画的な自分

私は転勤族だったので、小学校を卒業するまでは色々な土地で過ごしました。小さい頃から人見知りを全然しなかったので、誰とでもすぐに打ち解けるタイプでした。

今思えば、世渡り上手だったのかもしれません。いきなり前に出るよりは、色々考えステップを踏んで、クラスの中に溶け込んでいたからです。そのため、転校しても、クラスの輪の中にうまく入れることができました。

小学校4年生くらいの頃。健康について興味を持ち始めたんです。それは、当時『発掘!あるある大辞典』というテレビ番組の影響でした。そこから、自分自身の体に対する観察や実験を始めました。

例えば、視力が下がった時に、ブルーベリーを摂取してみたり。そうすることで視力が回復しないかなと思い、試してみたんです。家族の協力もあって、そんな風にテレビや本で見聞きしたことについて自分の体で試すことで、食と体の仕組みを理解していきました。

私の好きなことの本質的な部分はそういったところなんです。でも、高校を卒業するまで、まわりにそんな話をすることもなく、自分一人だけの趣味のような感覚だったんです。

中学校の時には海外に行きたい気持ちも強くなって、青年海外協力隊に憧れた時期もありました。ただ、海外にいくことは健康に関する仕事をしながらでもできると思い、管理栄養士になることを決心したんです。

中学校と高校の6年間。管理栄養士になるゴールへ突き進むために計画的に進路を選んだ時間だったと思います。私は、ちゃんとした理由がないと選択や判断ができないんです。

「なんでもいい」ではなく、「こうだからこれ」と自分なりに考えて答えを見つけた上で、物事の判断をしていて。それは今も昔も変わりません。

高校2年生になると、海外に行きたい気持ちを早速実現することになります。それは短期留学でした。自分で調べ、両親に相談をし、説明会にも自分で足を運んで話を聞きに行きました。自分の意思でそれなりに動いたからか、夏休みを利用して2週間ロサンゼルスに行けることに。

現地のファミリーにお世話になりながら過ごしました。本当に楽しい時間でした。日本では、計画的に物事を進めるタイプだったからか、誰かの目を気にしていました。

逆に、ロサンゼルスでは自分のことを開放できた感覚があったんです。大学に行っても、大人になってからも頻繁に海外に行きたくなったのは、あの時の感覚が忘れられないからかもしれません。

今でも思うんです。海外留学したい気持ちが、高校2年生の時に実現しなくても、いつかは行ったんじゃないかって。でも、あの時海外へ行ったからこそ、家族や友人と旅行に行くこととは違う感覚を身につけることができたんだと思っています。思ったことを行動するのは今でも得意なのかもしれません。

大学では食健康環境学といって、食健康以外も分野も幅広く学びました。最初はどうして健康と関係ない部分を勉強するんだろうと思っていました。

しかし、次第に学んでいくうちに、健康は衣食住にまつわる全部が繋がっていることを知ることになります。大学では同じ熱量を持ったクラスメイトたちが多かったので、周りの目を気にせず、自分の思いを表現しやすい環境でした。

バイトはスポーツジムでエアロビの講師をしていました。スポーツ分野で活躍できる栄養士になりたいと考えていた時期もあります。食事、運動を整えることで、最大限のパフォーマンスをすることに繋がることをしたかったんです。それらは、自分の好きな健康に関することもですし、バイトの経験も活かせると思いました。

引き寄せる何か

今はわかりませんが、当時、管理栄養士としての就職先はあまり多くはありませんでした。色々と調べ、就活をした結果、健康食品の会社に勤めることになります。商品開発をしたい気持ちもありましたし、ユニークな会社だったので、この会社で働いてみたいとも思ったんです。

ただ入社して最初の1年はとても辛かったです。新人としての役割や仕事も多かったですし、思っていた以上にできないことが多すぎて、頑張りが空回りしていたように思います。

辞めたいと思う時期さえありました。それでも、大きな仕事を任せてもらったこともあり、2年目もとにかく頑張って働きました。しかし、2年8ヶ月で仕事を辞めることになります。

背景の一つとして、仕事以外で勉強していたマクロビオティック(以下:マクロビ)がきっかけでした。雑誌で見つけたマクロビについて学ぶ学校に応募しました。

当時、少し先のこと、未来のこと、どんな風に仕事がしたいのか、生きたいのか想像できなかった自分がいて…。だから、今一度立ち返ってステップを踏むための学びだったんです。

その学校では、心の在り方や、自然のモノを体に取り入れることの大切さ等を学びました。更に、そこから世の中の全てがバランスで成り立っていて、色々と循環していることを知ることになります。

その学校には1年間通いました。学んできたことをもっと深めたい。そんな気持ちが高まってくると同時に、海外にまた行ってみたいと思うようになってきました。

そんな時でした。ツイッター上で
「マクロビの料理ができる日本人を探している」
その投稿が流れてきたんです。

内容には更にニュージーランドに住みながら料理のサポートに入ってほしいことも含まれていました。私は、ちょうどマクロビのことを学んでいたし、海外に行きたいと思っているところでした。だから、すぐに投稿した人に連絡しました。そして、そのままニュージーランドへ行くことが決まったのです。

世界一周に憧れている時期もありましたが、日程上希望を叶えることは難しかったので、まずはアメリカを横断することにし、そのあとニュージーランド入りすることにしました。

アメリカの滞在先で出会った人たちは、それぞれの夢を追っかけている人も多く、私の知らない世界に触れることができました。そこから広がっていって、素敵な場所に連れて行ってもらったり、目的地まで乗せてもらったり、人を紹介してもらったり。

アメリカって危ない話もたくさん耳にしますが、私は優しさを感じる時間ばかりだったんです。高校時代にホームステイした家族にも会え、元々予定していませんでしたが、急遽縁あってカナダにも行きました。

1ヶ月のアメリカ・カナダ滞在後、ニュージランドへ移動。空港からバスで3~4時間かかる小さな町に滞在することになります。お世話になった先は母娘2人とも障がいがあり、車いすで生活をしていました。

環境のことや社会問題に関心熱く、二人とも本当にパワフルで行きたいと思ったところには行くし、やりたいと思ったら実行している人たちでした。

日本にいると色々と我慢してしまう傾向があります。二人は日常生活でヘルプが必要なことも多くて、ちゃんと「助けてほしい」と言える人たちでした。その言葉って中々言えない人たちって多いと思うんです。でも、その二人と一緒に過ごして「助けて」って言えることや物事を頼むことの大切さを教わりました。

その町の滞在以外でも、1か月かけてニュージランドの北島を縦断しました。そこでも、多くの現地の人に助けてもらったので、困ったことがありませんでした。

だから、一人旅が好きなのかもしれません。知らない誰かと繋がれて、感じたことのない世界に触れることができるんですから。10代は色々計画を立てて予定調和で生きてきたけど、20代は予定不調和で生きてきたと思います。何かしたいと思った時に行動してきて、その中での体験と体感が自分の全てだと思っています。

体験と体感を通じて見てきた良い部分と悪い部分。それら両方を踏まえて「好き」だと言えると思うんです。その感覚があるからこそ、物事に対して、冷静に判断できるようになっているのかもしれません。

自分の思いに従って動いてきた結果、色々なモノが引き寄せられてきました。運が良かったと言えるかもしれませんが、動いてきたからこそ、自分にとって良い出来事が続いたのかと思っています。

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話し手:日吉花子(管理栄養士)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー日:令和3年4月27日
インタビュー場所:福岡市内
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。