宮城県気仙沼市で農産加工品を主体に弁当配達、見守り支援、アクセサリー製造等を行なっている『VOAR LUZ(ボアラズ)』。その代表を務める佐藤春佳さんに幼少期から遡って、今に到るまでの流れや経緯を伺いました。

周りに合わせることが辛い自分

小さい時から私はマセていたと思います。幼稚園に入った頃には、ほかの子に比べて行動力があったし、大人の目も意識していました。すでに、周りに気を遣うようになっていて、どの言葉を言えば相手がどんな反応をするかということも何となくわかっていたんです。

体格も大きかったし、見た目も大人びていたから、幼稚園時代も学生時代も年相応に見られたことがありませんでした。そういう意味でもマセていたと言えるかもしれませんね。

行動力と言えば、今でも覚えているのが幼稚園に入ったばかりのことです。父方の祖父母が南三陸町に住んでいて、ある日、どうしても祖父母の家に一人で行きたくなったんです。

それで、私は一人で気仙沼駅から祖父母の家がある南三陸町の駅まで行くことにしました。
私が電車に乗る時に、母が「あの子は幼稚園生だから、駅に到着したらアナウンスしてください」と、さり気なく車掌さんにお願いしてくれていたこともあり、無事に辿り着くことができました。そのころから、「何でも一人でやりたい」と思っていたし、あまり人の言うことは聞かないタイプでした。


(写真:佐藤春佳さん)

一方で、周りに気を遣う子でもありました。集団生活の幼稚園や学校生活で、一緒に過ごす子たちや先生たちに行動や言動を合わせていました。しかし、周りに合わせることがストレスで、しんどい気持ちになることが多かったですね。

それが嫌だったからか、そのうち幼稚園や学校にはあまり行かなくなりました。周りに合わせることで体調を崩してしまったり、私と合わない人たちからいじめられたりすることもありました。

親としては相当大変だったかと思います。ただ、そんな状況でも、私を無理矢理に幼稚園や学校へ行かせなかったし、私のことを尊重してくれていました。

中学校に入ってから気仙沼市内で転校をしたのですが、そこからはだいぶ状況が良くなりました。学校にあまり登校しなかったり、登校したとしても昼からだったりしましたが、そんな私でも同級生たちは普通に接してくれたんです。

学校の先生も登校しない私に対して「学校に来いよ」って言葉はかけるけど、押しつけがましくない接し方でした。私自身、他の人と違った性格や考えであっても、勉強できる子だろうがヤンチャしている子だろうが、分け隔てなく話ができたので、小学校の時と違い、マイペースで生活することができたと思います。

それでも中学校を卒業するまでの時間は、無理をしていて「きつい」と思っていたし、何もかも我慢していたものでした。気仙沼から早く外に出たい気持ちがあったし、そもそもここにいる意味を感じていなかったんです。

時が経ってから気づく後悔

そんな私でもやりたいことがありました。中学校2年生の時に、東京の芸能プロダクションの俳優オーディションに行ったんです。その時は入所こそ許されたものの通うことが難しく、結局はプロダクションに入ることを諦めましたが、「俳優をやりたい」と思う気持ちは強くなりました。

中学校を卒業してからは、バイトしながら通信制の学校へ行き、16歳の時には仙台市内で一人暮らしを始めました。一度は断念したプロダクションのレッスンスタジオに通うために、交通費をバイトで稼ぎながら、夜行バスで仙台から横浜にあるスタジオへ向かう生活です。

しかし、ほどなくして、宮城県内の最低賃金が低い中では、生活費をやり繰りし、横浜へ通い続けることがきつくなってきました。正直「こんなに働いているのに、これだけか」って思っていました。

色々と考えた結果、思い切って仙台から関東へ引っ越すことに…。幼い頃からの思い立ったら行動してしまう性格から、スタジオのある横浜に近い川崎に移ることにしました。


(写真左:佐藤さんの祖母 写真右:佐藤さんの祖母の姉)

それでも、川崎に引っ越して、しばらくは俳優を目指してスタジオへ通うこともできましたが、その生活も長くは続けられませんでした。未成年者がひとりで、生活費を工面しながらスタジオに通うことは、正直、簡単ではなかったです。そこからは生活することで精一杯でした。目指していた俳優については「今は辞めよう」と思い、ピタっとやりたいことを断念することにしました。

スタジオの先生たちからは「頑張ったほうがいい!」「この先、結果もついてくるから諦めないで!」と言われましたが、自分の中でバチって切れたんです。当時、生きていくことに必死すぎて、夢へはガムシャラになれなかったからかもしれません。

今思えば、「あの時、もっとしっかり俳優を目指して頑張っておけばよかった」と後悔することもあります。「もうちょっと俳優業を目指して頑張っていれば、違う人生が待っていたのかもしれない」とも思うことだってあるんです。

30歳になるまでは「今までの人生で後悔していることは何一つない」って思っていました。「後悔していることが結構あるな」と気づいたのが30歳、そして今34歳になって「あれ?こんなんだっけ?」と思うようになったんです。

やりたいことを目指してガムシャラにやってきたつもりだけど、自分が置かれている今の状況が過去に思い描いていた状況に到達できていないと感じているのかもしれません。本当にやりたいことにガムシャラだったのかどうか。

そのあと、川崎からさらに東京へと移り住んで6年くらいが経ち、23歳で長男を身篭ります。それを機に、里帰り出産で「いっとき」のつもりで気仙沼に戻ってきました。そして、あの日を迎えることになります。

後編はこちら

話し手:佐藤春佳(VOAR LUZ(ボアラズ)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:VOAR LUZ(ボアラズ)
撮影協力:VOAR LUZ(ボアラズ)
インタビュー日:令和2年10月23日
上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。