0か100か

忙しい日々に追われる中で、私を癒してくれたのは旅でした。“癒し”を求めに、20歳の頃から沖縄へ通うようになりました。沖縄へ通ううちに、“癒し”の旅から“人に会いに行く”旅に変化していくようになります。

そのように変化したのは石垣島に行った時からです。出会った地元の方がサーフィンを教えてくれたり、スーパーで食材を買って、それを料理して一緒に皆で食べたり…。そこから、観光ではない現地の日常を過ごすことの楽しさを覚えるようになりました。

また、民宿のおばあちゃんが、おばちゃんの若い時の話や島の歴史について話をしてくれて、地元の人が暮らしや受け継がれてきたものを大切にしている姿勢が伝わってきたんです。石垣島での時間を味わってからは、現地の人や旅人から聞いた情報を参考に沖縄以外にも足を運ぶようになりました。

旅を通して、色々な考え方・生き方・働き方を知った私は「現地の人たちから頂いた優しさに対して恩返ししたい」「でも、旅先の人たちには直接恩返しすることは難しいかもしれない、それなら、私が旅先で経験したことを日立の人たちに味わってもらうことで恩返しをしよう」と思うようになったんです。

そこからは普段の生活を如何に楽しくできるか考え始め、ジムで働き始めて3年目くらいからジムの建物以外でも活動を始めることになります。それは地域活動でした。

街の人に運動機会を増やしたいという思いから、月1回のヨガクラスを開催したり、自然の中で過ごしながら人と人が繋がるきっかけを作りたいという思いから、地元の食材を飲食しながらピクニックをしたりしました。

地域活動をしていき仲間が増えていく一方で、インストラクターと地域活動のどちらかに専念したい気持ちが強くなってきます。


(写真提供:赤津美咲さん 波照間島へ旅行に行った時の1枚)

どっちをやろうと思った時、私は地域活動を選択しました。0か100しか考えていなかった私は、中途半端な自分が嫌だったんです。だから、インストラクター自体をキッパリ辞めることにしました。もっと地域に関わる仕事をしたいと気持ちの中から生まれたものが「ゲストハウスをやりたい」という思いでした。

しかし、両親からは反対されました。それは、今思えば当然のことです。事業計画を作っていない、資金を貯めていない、拠点を見つけていない…行き当たりバッタリの状態だったのですから。本当に甘い考えでした。

実家で生活していたからか、何とかなる気持ちがどこかにあったんです。色々調べていくうちに、ゲストハウスを立ち上げるためには多額な資金を要すること、つまり借金を抱えるということがわかりました。

「無理だ…」

私には覚悟がなかったんです。覚悟あれば必死に事業計画を作って借金を背負ってやっていたはずですから。人を巻き込む怖さがあったことや自信がなかったことも大きかったかと思います。結局、拠点を見つけることもできず、インストラクターを辞めて3ヶ月で路頭に迷うことになります。

その後、週数回のアルバイトをしながら、今後のことについて考えていました。もう一度インストラクターとして戻ることも考えましたが、プライドが邪魔をしていたんです。インストラクターを辞めるってキッパリ決めたのに、元の道に戻ることに恥ずかしさもありました。違う道で仕事をしていくか、そんな迷いだって…。

ゲストハウスの立ち上げを諦めて半年後、以前お世話になった方から「美咲さん、よかったらレッスンをやってくれないか?」と声をかけてくれました。この一言がきっかけで再びインストラクターとしての道が始まることになります。

恩返しではなく恩送りを

レッスンのお誘いは嬉しい話でしたが、正直迷いました。それは「私は地域活動がやりたいのに…」というプライドがあったからです。1~2週間迷った結果、その話を受けることにしました。

レッスン当日のことは今でも忘れません。ジムに勤めていた時は、日々仕事をこなすことに追われていて自分を見失っていましたが、以前より、やりがいや楽しさを感じたんです。私は運動を楽しむことをすっかり忘れていました。そんな私を見て、レッスンを受けた参加者も楽しそうに運動をしている姿を見て気づいたんです。

「私ができることを地域で教えることも地域活動一貫なんだ!ゲストハウス等の場所を作ることだけが全てじゃないんだ!」って。

インストラクターとしての仕事をもうやらないって決めていたけど、自分の役目を再認識したことで、再びインストラクターとしての道をフリーランスという形で歩むことにしました。

まるで魔法が解かれたような感覚でした。このレッスンで本来のやりたいことや自分を思い出せたので、レッスンの声をかけてくださった方には本当に感謝しています。


(写真左:原田実能さん(うのしまヴィラ館主) 赤津さんがお世話になった人のうちの一人)

インストラクターとして仕事をしていく中でライフステージの変化もありました。それは結婚と出産です。今年の初夏に長男を出産してからは、優先順位が変わってきました。妊娠するまでは仕事が第一優先でした。夫も私が仕事に励むことを応援してくれていましたし。

でも、今は子供が一番です。家庭を大事にしつつ、その中で仕事をどう展開していくかについて考えています。妊娠と出産の過程で体調不良や体の悩みが出てきたことで、体調が良くない人や今まで当たり前にできていたことができなくなった人の気持ちが少しずつわかってきました。それまでは大きな病気や怪我をしたことがなかったので、自分の中で幅が広がってきていると思います。

私は今まで“できなかった”ことがたくさんありました。それは、自分の能力や状況、失敗だったりと色々な背景があります。そして、そんな時に私に対して手を差し伸べてくれた人たちが必ずいました。“できなかった”自分と手を差し伸べてくれた人たちがいたからこそ、今の私があるんです。

しかし、その人たちに恩返しがしたいという気持ちがありつつ、それができていない自分にもどかしさを感じることもあります。実際、今子育てをしている段階で、出産前のレベルまで仕事を戻せていない現状もあり、社会に置いていかれている感覚になることだってあるんです。

そんな中で、ある人に言われたことが印象的でした。
「恩返しではなくて恩送りをすればいいんだよ」

直接その人たちに恩返しをするのではなく、それを違う誰かに対して返していけばいいのではないか。私にはそう聞こえました。私は“できない”ことが増えたことで、お世話になった人たちに直接恩返しすることを強く意識しすぎていたんだと思います。それは、まるで勝ち負けに拘っていた小学校時代のように…。

そうじゃなく、地域活動を始めた時のように、自分が経験したことを違う誰かに対して少しずつ返していけたら…。そんなスタンスでいいのかもしれません。私は、その気持ちを忘れていた気がします。

新しいことや大きなことじゃなくてもいいんです。焦らず、今の状況でやれることをやっていきます。ゆっくり、ゆっくりと。

(終わり)

前編はこちら

話し手:赤津美咲(フィットネスインストラクター/ライター
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:晴耕雨読-日立マイクロシェアオフィス
インタビュー日:令和2年12月3日
●編集後記
僕は前職時代にインストラクターの方と接点はありませんでした。それは、仕事以外の活動時でも同様。おそらく美咲さんは社会人になって初めて出会ったそういうフィールドの方だったかもしれません。

美咲さんと初めて出会った時に「鹿児島の甑島に毎年遊びに行っています」と満面の笑みで言ってくれたのを今でも覚えています。その3ヶ月後に美咲さんは神戸在住の友人と一緒に鹿児島に来てくれたんです。その時に甑島と接点ができたきっかけや、今までのことを話してくれました。

僕も観光ではなく誰かに会うという名目で外に出ることが多かったので、とても親近感が湧いたのを今でも覚えています。美咲さんは、その翌年も鹿児島に遊びに来てくれて、僕の好きな鹿児島の人や場所を1日かけて案内しました。

取材で日立に再び足を踏み入れた昨年12月、彼女は結婚を経て、出産を経験。母となり数ヶ月経っていました。最後に会ってから大分ライフステージが変わっていて、インタビューの中で出てくる彼女の心境にも変化が感じたんです。

それは、僕の周りで母となった友人たちにも似ていた気がします。
『今までできていたことができなくなった』

それは世界中の親となる人たちが経験してきたことで、結婚をしていない僕にとっては想像もできない世界です。「もし、自分が同じ状況になったらどういう気持ちになるだろう?」って考えることだってあります。そういう状況の友人たちから悩みを打ち明けられた時、僕は中々言葉をうまく返せないことが多いです。

プラスして美咲さんは色々な人から恩を受けてきたことをどう返せていけばいいか悩んでいた背景もありました。僕自身も今こういう動きができているのは、今まで手を差し伸べてきてくれた人たちのおかげです。だから、美咲さんの悩みは共感できる部分がありました。
インタビューの最後に出てきた「恩送り」が印象的でした。

そして、できなくなったことで美咲さん自身が感じたことを今もしくは将来経験するであろう人たちに対して、返していく。美咲さんのそんな姿勢に僕は“直接”返すことばかり考えていた自分に気づかされました。

確かに、それも今までお世話になった人たちに対する一つの返し方だなって。現状を受け止め、焦らず、今できることを今目の前にいる人たちに対して「恩送り」していく。そんな美咲さんから、この先どれだけの人が「恩送り」されるんだろうか。少なくとも僕はその一人なんだな、って感じた取材でした。

美咲さん、インタビュー場所を提供してくださった『晴耕雨読-マイクロシェアオフィス-』さん、本当にありがとうございました。

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。