“しがらみ”がないからこそ…

「埼玉に戻ったら、漆の仕事は続けられない…」
「産地じゃないから漆の仕事をやっている人が周りにいない、漆の仕事の続け方がわからない、自分はクリエイティブに何かを作り出せるタイプではない…あぁ、自分は仕事を失うな」
離婚し埼玉に戻ってきたことで、ネガティブに考えている自分がいました。

そんな状況を心配してくれたのか、輪島で最後にパートとして働いていた工房の親方が埼玉でもできる内職の仕事を与えてくれたんです。私から“次の仕事が見つかるまで”という条件で親方に提案し、引き受けることにしました。

娘が保育園の年中だったので、娘が熱を出したら保育園に迎えに行かないといけないこともあったので、家で仕事ができることは非常にありがたかったです。埼玉に戻ってから漆の仕事を続けられてはいましたが、それでは生活費が足りないのが現状でした。

「もし、仕事を与えてくれている輪島の工房に何かあったら私は仕事を失ってしまう」という危機感が出てきました。そこで「自分のオリジナルの作品を作る作家みたいにならないといけない」という気持ちが強くなってきたんです。
そうすれば、今受けている仕事にプラスした報酬が手に入るし、自分で価格設定もできる、そう考えました。

その同時期に私は「娘用のお椀が欲しい」と思っていました。私は幼児を抱える母でしたが、漆の仕事をしていて、娘のためにお椀を作ってあげたことが一度もなかったんです。

また、娘の食が細く、ご飯をたくさん食べさせたい時期にご飯を家でも保育園でもあんまり食べないことが多くて困っていたことも、娘にお椀を作ってあげたいと思った理由の一つでした。

娘はNHKに出てくるワンワンというキャラクターが大好きで、ある時、ワンワンのエプロンを着けてご飯を食べさせたらテンションが上がって、ご飯をパクパク食べ始めたんです。その時のことを思い出し、娘が好きなものが描かれたお椀を作ることにしました。

娘のリクエストを聞いて、お椀の裏には似顔絵や名前を平仮名で入れてあげると、すごく喜んで漆器を使ってくれたんです。

ある時、輪島でお世話になった店主さんが展示会を企画するので、私の作品も展示してみないかと連絡がありました。当時、娘用に作ったお椀しかなかったのでブーブー言う娘を説得し、そのお椀を展示会に非売品として置くことにしたんです。

すると、どうしても買いたいと言うお客さんが現れて、初めて自分の作品が売れることになりました。また、地元の保育園のママ友から誘われたイベントでオリジナル商品としてドットや動物の絵柄が入った箸を売る機会もいただいたんです。

そこでご一緒させていただいた方から「このお箸をお店においてみないか」と声をかけてもらって…。自分のオリジナル商品を出すようになってから、嬉しいことに割と忙しくなってきました。

忙しくなったとはいえ、貧乏生活を送っていたことに変わりはありません。同じころに漆を学んだ友人たちでどんどん独立していって活躍している人は多く、周りへの劣等感は強かったです。

「自分って才能ないな、ダメだな」って思うことは多々ありました。輪島にいた時は「作家は誰でもなれる、どんなヘタクソだったなれる」って言われ馬鹿にされていたから、オリジナル商品を作り始めた最初の頃はとても気にしていました。

職人になりたくて輪島に行ったのに、職人になれなくて埼玉に帰ってきた…そんな中で“漆作家”として名乗っていることに抵抗感があったんです。

でも、漆作家として活動しているうちに気持ちが楽になってきました。私は産地でもブランドでもない一作家として作品を作っていて、母親という立場。産地の職人ではなく、母として子どもを育てて生活していくために、できる範囲のことで作品を作っていたから、“しがらみ”が全くなかったんです。

娘が壊してくれたもの

娘のリクエストで可愛い感じの漆器を作っている時に気づいたことがあります。洗練されたカッコいい漆器も周りにあっても素敵で魅力があるのですが、経済面や生活面の状況によっては、そのような漆器を置けない家庭だってあるんです。

そのような状況な人たちに、オシャレでカッコいい漆器だけしか買えないって、漆器に対する見方を狭めてしまうのは良くないと思いました。どんなにダサい・苦しい生活をしていても、漆器を使ってもいいんじゃないかって。「ハードルが高い洗練されてる技の世界も素敵だけど、そうじゃないハードルが低い世界も許してくれよ」って、思うんです。

自分たちが生き残っていかなきゃいけない状況だから、カッコよく、オシャレにみせて『価値を高める』ことも必要があると思います。でも、そうじゃない漆器だってあったっていい。

丁寧に扱える自信のある人だけしか買っちゃいけないとかではなく、お金持ちじゃなくても、大人じゃなくても、漆器は手にしていいし、買っていいんです。

そう教えてくれたのは娘でした。私は以前、可愛いものに対する抵抗感があったのですが、娘はその感覚を壊してくれたのです。おかげでその抵抗感が無くなりました。

世の中からしたら、離婚ってネガティブなイメージを持たれると思いますが、私はそう思っていません。離婚もですし、娘を産んで、蒔絵師の弟子を途中で辞めたこともそうです。

その2つの出来事がなかったら、今の作風や、漆作家として活動できていなかったかもしれません。私は29歳で独立しました。29歳のシングルマザーの作家ってあんまりいないと思います。でも、こういう状況って稀でもあり、強みでもあって。人の過去って色々なものが繋がって今になる。

私は、絶対娘がいなかったら「漆器は、ちゃんとしたものじゃないといけない」というハードルの高い意識が強かったかと思います。今ではもう、産地の有名な職人さんとか見て「自信がない」とか言ってられない。

私の漆器のイメージって可愛いものとして見られているため、受け入れてもらえないこともあります。でも、それでいいんです。だって、少数でも可愛い漆器を好きだと言ってくれて買ってくれる人がいるんですから。

私はある意味ハードルを下げるプロなのかもしれませんね。技が素晴らしいとか、センスが特別いいとかはなくて、自分の中で「こういう漆器があったらいいな」と思って作ったものが皆さんに共感してもらえたなと思っています。

例えば、姪っ子への誕生日プレゼントだったり、お世話になった方への御礼だったり。自分の目の前にいる誰かのことを思ってやっていれば、それを好きだと言ってくれる人が何人かいるはずなんです。

私は自分の漆器を大きな範囲で広めようとは思っていません。細く長く続けて、自分が作った漆器を身近にいる誰かが手にとって喜んでくれたら…その思いだけなんです。

時には自分に自信を無くすこともあるかもしれません。
それでも『ハードルが低い世界で小さく自分ができることをやっていく』こと。
その姿勢は、これからもこのままだと思います。

(終わり)

前編はこちら

話し手:加藤那美子(うるし劇場/縄文うるしパーク計画-埼玉にうるしを植える会
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長)
インタビュー場所:うるし劇場
インタビュー日:令和2年11月23日

●編集後記
僕が産地の職人さんや文化に触れるようになったのは30歳を越えてからでした。それまでは高級というイメージだったり、敷居が高さがあったり(勝手に感じていた)ことから、そういうフィールドに立ち入ることを無意識に避けていたのかもしれません。実際、職人さんにお話を聞いてみると、知らなかった世界が身近に感じられるようになって、漆器を購入したりするようになりました。しかし、金銭面や生活面のレベル次第では機会があっても身近に感じることは難しいと思うこともあったんです。それがいわゆる“ハードルの高さ”だったのかもしれません。『うるし劇場』さんのHPを初めて見たとき、何だか温かなものを感じたんです。それは、幼い頃にテレビで見ていたキャラクターが描かれていた弁当箱を持って、遠足に行った日のことを思い出させてくれました。遠足でお出かけすることも楽しい要素の一つなんだけど、皆で弁当を食べる楽しい時間に大好きなキャラクターが描かれている容器がある。それでけでも特別感があったし、いつもと変わらないはずの食材も、いつもよりとっても美味しく感じたんです。その時の記憶はずっと忘れないかと思います。

去年(2020年)3月に加藤さんと初めてお会いした時に、娘さんが普段使っている漆器を見せてくれました。かわいい動物が描かれている漆器で、今まで見た中で、一番身近な存在に感じるものでもありました。産地じゃない土地で漆器を見ることに対して、嬉しさも同時にあった気がします。それは“ハードルの低さ”があったからかもしれません。

取材は2日に分けて行いました。2日目は加藤さんが地元の仲間と一緒に土地を借りて漆畑を作っている場所にお邪魔することに。昼ご飯の時間になり、そこらへんにある石を使って買ってきたパンを焼いたり、コーヒーを淹れたりという体験をさせてもらいました。普段、漆畑で、気軽にご飯を食べるって中々ないですよね。漆が入り口じゃなくても、ご飯やコーヒーきっかけで漆を身近に感じられる“ハードルの低さ”を感じました。

僕は産地の話になると、そういう分野に興味がある人にしか話せないなと思っていたけど、加藤さんを通じて、興味がある人関係なく、やり方次第では誰にでも身近に感じられる・扱える世界なんだなと教えてもらった気がします。鹿児島に戻ったら、姪っ子たちにも教えてあげようっと。

加藤さん、本当にありがとうございました。

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。