私の世界を広げてくれた人

『サウダーヂな夜』でアルバイトをするようになり、声かけをしてくれたオーナーさんのおかげで私の世界は広がりました。その方は岡山市議会議員の森山幸治さんです。ご自身のお子さんが障害があったこともあり福祉の政策にとても力を入れられています。何より福祉の世界の見せ方が凄かったんです。

「何かすごい」「えっ何これ?」と気持ちがときめくと同時に障害がある人たちの表現力に衝撃を受けました。正直、森山さんと出会うまで障害がある人たちと触れ合う機会は全くありませんでした。

意識して街を見てみると、杖を持って歩いている人もいれば車イスを使って移動している人もいる。それは当たり前の世界なのかもしれない。でも、車社会だったことや学校が健常者と障害者で区分けされていた背景もあったことから、私にとっては新鮮なものだったんです。

そこから、活動が面白いなと思い、森山さんが関わっているイベントのお手伝いをするようにもなりました。私が面白そうだなと思って参加した過去のイベントも主催されていたものがいくつかあって。

そのうちの一つで、寺子屋のようなイベントを主催した時にゲストで来てくださった鹿児島の坂口修一郎さんの言葉が印象に残っています。

「ローカルプライドを持とう」

その一言を聞いて「私はもっと自分に自信を持って足元見つめてやっていけばいいんだ」と思ったし、同時に誇らしさを感じたのを覚えています。その時は森山さんとは出会っていませんでしたが、出会う前から私の世界を広めるきっかけを作ってくれていたことにとても感謝しています。

今運営しているお店に繋がる取り組みの一つとして『長島アンサンブル』というものがあります。それは、ハンセン病の療養所が設置されている瀬戸内市にある長島で音楽やアート、対話等を通じて長島の自然・文化に触れてもらうイベントです。

私はそのイベントのことを聞くまで長島の存在やハンセン病の背景を全く知りませんでした。ある時、声をかけていただき、長島に行く機会がありました。「すごい、こんな島があるんだ」と思ったのと同時に戸惑いもありました。

確かに自然が豊かで居心地が良い光景が広まっている反面、療養所というのもあり建物が多く「この敷地内に入ってもいいのかな?」と思う自分がいました。そして、長島愛生園歴史館を見学していく中で、ハンセン病の歴史に初めて触れることになります。

その後、私は仕事を辞めて無職でした。ちょうど、森山さんが市議会議員選挙の時期だったので、私は選挙事務局長としてサポートをすることになります。街頭演説で一緒に辻立ちしたり、応援してくださる方々に市政報告を送ったり等、普通の生活をしていたら経験できないことをさせてもらいました。

政治家の人たちの役割や、その役割が如何に私たちの生活に結びついているかについて知ることより、たくさんの気づきや視野が広がったと思っています。
そんな中で長島愛生園からある相談を受けていました。

それは長島愛生園内にある元々福祉課として利用されていたスペースの利活用についてでした。何度か長島に通うようになっているうちに「喫茶店にしてみよう」という話になりました。そこで「運営をやってみないか」と私に打診がくることになるのです。

今置かれている状況で、活路を見出す

打診を受けた時は戸惑いました。でも「乗りかかかった船だし、やってみるか」と思い、お店の運営を引き受けることにしたんです。

私の中では療養所の入所者の方が作っていたお菓子を再現したり、ハンセン病の歴史を追える場所にしたりしたほうがいいかなと思っていたのですが、療養所内自治会の方は、そういうことを特に求めていませんでした。

打ち合わせをしていく中で、昔『さざなみ食堂』というところがあったこと、『ライトハウス』という盲人会集落所があったからことがわかり、それらを組み合わせてお店の名前を『喫茶さざなみハウス』にすることにしました。

オープン当初は今よりハンセン病の医学的や歴史的な部分がわかっていませんでした。長島愛生園に入所している人たちと接していると、その人たちの表現力が凄さや生きる力を感じるようになってきました。

そして、差別や偏見、隔離といった悲しい部分ばかりが世の中に出ているけど、長島にいる人たちを違う視点でも知ってもらえたらと思い、お店をオープンさせました。

オープン当初、入所者の方が「お店の様子を見に来たよ」と顔を出してくれました。オープンしたとはいえ、年齢は結構離れているし、この土地に新参者の私にとって入所者の方に対して、どのように接したらいいかわからない状態でした。

その中で、顔を出してくれたある入所者の方から「このコップは持てないよ」と言われました。ハンセン病にかかった方の中には指先の知覚が奪われたり、指を切断されたりしていた方がいて、その人たちはコップに取手がないと飲むことができなかったのです。

私はその日のうちに家具屋さんに行って、取手のあるコップを購入して、次の日からはそのコップをお店で使うようにしました。本当、見切り発車のような状態でした。

少しずつ入所者の方たちとコミュニケーションが取れるようになってきて、色々アドバイスをいただくようになり、私からもわからないと思うところを積極的に聞けるような関係性ができてきました。

ハンセン病について、どうしても悲惨な歴史が先走りして、入所者皆さんが同じような経験をされているように思われがちですが、実際そうではありません。戦前に治療薬も無く悲惨な経験をされた方もいれば、戦後に治療薬が開発され職員と一緒に島での生活基盤を開拓された方もいらっしゃいます。

中には、ゲートボールが好きで全国大会に出場したという話だったり、こっそり手漕ぎ船で外へ抜け出しお酒を仕入れて皆で飲んでいたという話だったりを聞いていると、私が知らないだけで案外普通に楽しんでいた人たちの存在も知るようになりました。

どんな場所にいようが、皆それぞれ活路を見出していると思ったら、普通に人生の先輩と思えるようになってきたんです。確かに、色々な環境や背景が違うことが前提にはありますが、この人たちはハンセン病という特別な経験をして、こうやって笑って生きているんだと思うと、純粋にすごいと感じています。

私はこのお店の運営を始めてから、自分の想像力の足りなさや自分の思考に対する頑固さがあったことを痛感する日々です。お店に来てくれる入所者の方に対して、うっかり失言することがあって、そういう失敗があったからこそ慎重にもなったし、入所者の方に対して色々と聞けるようになりました。

自分がわからないことを聞けるような関係性を築いたり、人の言動や行動を鵜呑みにせず、背景やルーツを一人一人きちんとみていったりしないといけないと思ってきたことが、私にとってお店を始めてからの一番の変化なのかもしれません。

最近は入所者の方が面会に来た外の人を喫茶店に「こんなところができたんだよ」と嬉しそうに連れてきたり、他のお客さんに声をかけてお話してくれたりするような光景が広がってきました。入所者の方にまた会いに来てくださるお客さんもいて本当嬉しいことだと思っています。

運営に関しては心強いスタッフも増えてきました。スタッフはそれぞれ農業等をしていて、暮らしの知恵をお店に持ってきてくれるので、お店もですが、私自身も皆に守られています。

お客さんやスタッフも含め、色々なプロフェッショナルな方に支えられているので、私ができることは、その中から何かを見つけ出して、興味を持つためのきっかけを作っていくこと。それが長島で私なりに見出した活路です。

(終わり)

前編はこちら

ハンセン病等の背景についてはこちら

話し手:鑓屋翔子(喫茶さざなみハウス/長島アンサンブル 店主)
聞き手:上泰寿(てまえ〜temae〜編集長〜)
インタビュー場所:喫茶さざなみハウス/長島アンサンブル(国立療養所長島愛生園内)
インタビュー日:令和3年2月5日
●編集後記
僕は何か転機があった時、誰かに導かれてきたことが多いです。そして、その時は必ず何かに迷って彷徨っていた。鑓屋さんにインタビューをしながら、過去の自分を思い出していました。

誰かに導かれたからこそ、見えてきたものがあり、そこから活路を見出し、今がある。それは、誰にだって共通することなのかもしれない。そう思いました。背景や環境、状況が違えど、誰しも今生きているところで遅かれ早かれ、今できることで活路を見出している。

ただ、それはきっと一人ではできない。手を差し伸べてくれる誰かがいて、一緒に悩んで行動してくれる誰かがいて、その中で自分なりに答えを見つけて前へ進むことができるんだと思っています。今回の取材があるまで、ハンセン病の方々について悲しいイメージしかありませんでした。

実際、長島愛生園歴史館での取材や鑓屋さんのお話を伺っていると、どんなに苦しい状況でも、自分たちができることを通して活路(光)を見出してきたことを知りました。それは音楽だったり、スポーツだったり、小さな娯楽だったり…。

この長島という小さな島にいるからこそ、療養所という小さな環境にいるからこそ、考えて導き出してきたたくさんの答えが溢れていました。それは“考えること”を止めなかった結果なのかもしれません。僕も“考えること”を止めず、少しずつ少しずつ、自分なりの活路を見出していきたい、そう思えた今回の取材でした。

鑓屋さん、今回は本当にありがとうございました。

上泰寿(かみさま)

上泰寿(かみさま)

フリーランス。鹿児島県出身。10年間市役所に勤務し、現在は編集者見習いとして、「聞くこと」「書くこと」「一緒に風景をみること」を軸に基礎的な力の向上を図っている。